こっちがメインに!?

社会はどんどん進化していくから、当たり前のことが当たり前でなくなっていくんですよね。本だって、やっぱり紙の方がいいって思っていたけど、最近は意外に電子書籍は便利だなって思いますしね。年配の人にだって実は優しいんだそうです。何が優しいかっていうと、本は、特に文庫本は、文字が小さいから高齢者にとっては読みづらいけど、電子書籍ならタブレットを使うから文字も大きいし、さらに大きく調整できるから本当は楽なんですって。そう言われれば、そうですよね。実は、私も断然、紙の本が好きだったんだけど、最近はけっこう電子書籍寄りになってます。私はスマホで読んでるから、文字自体は小さいんだけど、持ち歩くには楽です。スマホはいつも持ってるから、ちょっとした空き時間にも読むことができます。それに、本棚を持ち歩いているのと同じことですもの。何十冊もがスマホの中にあるんですから。考えてみたら、スゴイですよね。いくつかのWEBサイトでは読み放題のプランなんていうのもありますしね。そのうち、そっちがメインになってしまうのかもしれません。そして、今度はまた新たな何かが登場するかもしれません。そういえば、小説家さんだって、その昔は原稿用紙にペンで書いていたのが、今ではパソコンでキーボードをたたいて綴るんですもの。未来にはさらに進化して、小説家は物語を声に出して語るだけで、それが文字に変換されるようになるとか。まさか。いえ、ありえます。

目の前にひこうき雲

先日の朝、車で駐車場から出たときに目の前に飛び込んできたのは、真っすぐに伸びたひこうき雲でした。フロントガラスの真ん前を横切るように見えました。先の方はうんと細くなっていると思ったら、そこには、まさに飛行機が飛んでいたんです。運転していた私は、「おっと、危ない、危ない」と視線を道路に戻しました。でも、あんなに綺麗なひこうき雲を見たのは久しぶりでした。子供の頃はもっと頻繁に見ていた気がするなって思っていたんだけど、そもそも大人になってからは昼間は仕事をしているから、あんまり空をゆっくり見る機会がないということなのかもしれません。
その時、運転しながら、私はひとつの小説を思い出しました。物語の中にひこうき雲が出てきたんだけど、それを『蜘蛛の糸』の物語と織り交ぜて主人公が語っていたんです。主人公の男性が幼い頃、ひこうき雲を見たときに、それがスルスルと自分の目の前に降りて来て、それにつかまって未知の世界に行くという空想をしていたという一節があるんです。でも、そのイメージってよくわかります。以前、私はほぼ縦にまっすぐに伸びている雲を見たことがあって、その時も『蜘蛛の糸』か『ジャックと豆の木』かという空想をしたものでした。空を見ていると、大人になった今でも、なんだか子供の頃の気持ちを思い出してしまうものですね。

『ごちそうさま』の返し言葉

先日、小説を読んでいたら、一人の女性が食事を終えて「ごちそうさま」って言う場面がありました。そして、それに対して「よろしゅうおあがり」との返し言葉があったんです。物語の舞台が京都だったから、これは京都の言葉です。登場人物が「よく食べていただきましたね」という意味だと説明していました。小説ではそこでひと悶着あったんです。そう説明された女性は「おあがりって言われたら、今から食べるのかと思ってしまう」と反論したんです。でも、京都では『ごちそうさま』とセットみたいなものなんだそうです。そして、彼女は自分なら「お粗末さまでした」と返すと。こういう言葉って地方によって色々なんですね。もちろん、どれが正しいなんてないんだと思います。けど、ふと考えたんです。私ならどうだろって。そして、子供の時に母親はどうだったかなって。もし、私が誰かに『ごちそうさま』って言われたら、たぶんそれまでに会話があるから、「はーい。気に入ってもらえてよかった」とか「次はもう少し頑張るね」とかって話すように思います。そして、母はというと、小さい頃は「よく食べたね」とか「全部食べてお利口だったね」なんて感じだったかと思います。でも、大きくなってからは「よく食べたね」とは言われていません。もちろん「お粗末さま」でもありません。にっこり笑って「はーい」かな。
けど、何か気の利いた言葉を返せたら素敵だなって思いました。いつでも返せるように、ちょっと考えてみようと思います。

年月が経てば変わるかも

先日、久しぶりに本の整理をしようと本棚の前に立ったんだけど、案の定、次々と手にとっては読んでしまいました。どうしても、はっきりと記憶にないものは中身を見てしまいます。直感で判断すればいいんだけど、そこは私のいけないところで、思い切りが足りないのかもしれません。でも、やっぱり思いきれなくて今回も処分せずに残した小説の中にある有名な作家さんのものがあります。彼のファンは日本だけでなく海外にも多いと聞きます。でも、私はというと、今までに何冊も読んでるけど、なぜかいつも「よくわからない」「面白いとは思えない」って感じてしまうんです。そんなに人気があるんだから、素晴らしい作品なんだと思うんだけど、心の中にスッと入らないんです。私がおかしいのかなって思えてきます。その小説を買ったのは、もう随分前です。話題になってるからという理由でした。でも、心に残らないから、自分の中では意味不明な本という位置づけで、本棚の中に納まっています。
けど、この前、テレビで、あるタレントさんが話してたんです。10年ぶりにある本を読んだら、以前はその良さがわからなかったけど、そこに託されている奥深いものが見えてきたって。自分にようやく受け入れるだけのものが整ったのかもしれないって。それを思い出したから、私も「面白いと思えない」その本をもう一度読み返してみることにしたんです。今まだ物語は序盤です。今のところは、特に何かが起こるわけでもなく、何ということもなく登場人物それぞれの生活が流れています。さぁ、今回は私の気持ちに何か変化が起きるのかどうか……ちょっと期待して読んでみます。

深夜の事件

翌日が休みだという夜は、何と言っても最高にのんびりできるものです。次の日が休みだというだけで、どうしてあんなにもウキウキするんでしょうね。夜更かししてもいいと思うと、平気でコーヒーだって飲めちゃいます。小説の続きだって途中で仕方なく止めなくても、とことん読むこともできます。深夜ラジオを聴くこともできます。たまに欲張って、ラジオを聴きながら本を読むこともあります。
そんなのんびりな先日の夜、事件が起こったんです。私はベッドに寝っ転がりながら、小説を読んでいました。まだ眠くないから、もう少し読んじゃおうという気持ちでした。うつ伏せからグルンと仰向けになったその時です。ガッシャーン。外で大きな音がしました。ワンコも驚いてウロウロしています。私は起き上がって耳を澄ませました。車のエンジン音と人の話し声がします。気になって、窓から外を覗いてみました。話し声は隣の家の方から聞こえます。どうも車が塀にぶつかったようでした。深夜だし、わざわざ外に出るのも野次馬みたいだからと、その時は家にいました。けど、その後も何やら少しざわざわとしていたから、気になってもう読書どころではありませんでした。かといって、すぐに眠ることもできません。小説は諦めてラジオに変えました。そのうち寝ちゃいましたけどね。翌朝に見たら、隣の家の塀はけっこう壊れていました。ぶつかったのが誰だか知らないけど、災難ですよね。まぁ、怪我人はいなかったみたいだから、それだけは不幸中の幸です。けど、トンデモな夜でした。

これは非常用です

先日、仕事中にものすごい睡魔に襲われてしまいました。あそこまでの睡魔は久しぶりです。前の晩にあまり寝ていなかったのかというと、そうでもなかったんですよね。朝、いつもより30分早く起きただけでした。けど、それが原因だったんでしょうね。ランチ後にデスクでパソコンに向かっていると、もう何がなんだかわからないような……。目は閉じていなかったはずなんだけど、完全に頭は死んでいました。以前、そんな時には糖分を摂れば良いというのを何かで読んだことを思い出して、友人からもらったマカデミアナッツのキャラメルを1つ引き出しから取り出して、口に放り込みました。そしたら、本当に意識がはっきりしたんです。効果抜群でビックリでした。その時に、帰りの電車でも眠くなるかもしれないと思って、念のためにキャラメルを1つバッグに入れておきました。
でも、それが大正解だったんです。案の定、帰りの電車でこっくりこっくりとなって、いつもなら読書タイムなのに、それどころではなくなったんです。隣の人にはもたれないようにと意識していたから、かろうじて、そこは免れていたんですけど。だから、バッグから例のキャラメルを取り出してこっそり食べました。すると、不思議、不思議。おとぎ話のような言い方ですけど、またしても目が覚めたんです。そして、読書再開です。その日、二度も助けてもらったキャラメル。これは非常用にいつも持っていた方がいいかもしれません。

最近増えたみたいです

毎日の通勤時間が私にとっては読書タイムになることが多いです。もちろん、電車で運よく座れたら、のお話ですけど。乗り換えはしますが、20分間くらい乗る線があるから、少しは集中して読むことができます。ページを開く前にいつも周りの人の様子を見るのがクセになっています。他に本を読んでる人がいるかなって。大勢いたら、なんとなく安心するような……。特に、隣に座った人がバッグから本を取り出したときには、その種類まで、時にはそのタイトルまですごく気になってしまいます。でも、露骨に覗くと失礼だから、そこは気づかれない範囲でチラッと横目で確認するといった感じです。
それにしても、以前はスマホを触っている人が断然多いなぁっていつも思っていたのに、なぜか最近は意外と本を開いている人が多いんです。気のせいかとも思ってみたりするんですけど、明らかに増えたように思います。ブームなんですか? 確かに、ビジネスに関するものでベストセラーになってる書籍が沢山あるように思います。電車の中吊りや壁の広告にも、様々なビジネス書が紹介されています。私も立っていたら、なんとなく広告を見てしまって、時々は、買ってみようかな、なんて思いますもの。読書家としては、電車の車両の限られた空間の中で、同じように読書をしている人が多いことは、なんだか嬉しいものです。そこに仲間がいるって感じますもの。

作品か人か

テレビの対談や雑誌のインタビューなどで小説家さんを見かけて、すごくイイメージを持ったら、その人の作品を探して読みたくなります。そして、読んでみたら面白かった、となれば、もうファンになってしまいます。それは、文学賞を受賞したなどけっこう話題になっている人の場合が多いかもしれません。でも、逆のことも多いです。何か目的があるわけでもなくブラブラと書店の中を見て回っているときに、平積みされている本や、時にはたまたまそのタイトルに目が留まった本から入るときです。その小説家の情報が私にあるんじゃなくて、その人に興味があるわけでもないけど、作品にはものすごく惹かれたという場合です。大概はあらすじや帯を読んでみて、あとは直感で決めます。そんな風にして選んだ小説が面白かったら、それからはその小説家さんの作品を続けて読みたくなります。中には、どれも外れがないと思える人もいます。それだけ、面白いものを書き続けられるなんて、スゴイ才能だなって思ってしまいます。少し前にも、そんなことがあったんです。本当にたまたま見つけて「イイかも」って思ったから買ったんだけど、その内容にものすごく期待をしていたかというと、そこまでではありませんでした。けど、その予想は大きく外れてどっぷりハマってしまいました。だから、このところ、続けてその人の作品を読んでしまってます。

義理人情ということ

先日、続けて読んだ記事に正反対のことが書いてありました。ひとつは「義理や人情で仕事をする時代は終わった」というもので、もうひとつは「ビジネスの世界で必要なのは合理性と義理人情だ」というものです。たまたま読んだビジネスに関する記事ですが、考え方は人それぞれなんだなぁというのが正直な感想です。たぶん、どっちも正しいのかもしれません。
義理や人情では商売はできない、というのもわかります。一昔前とは違って、今の時代は実力が物を言う時代なんだと思います。何か落ち度があれば、一瞬にして取引が終了したりしますしね。『あいつはいいやつだから』という理由での取引なんて、ないと思いますしね。でも、取引は機械がするものじゃなくて、人間がするものだから、「一切の義理や人情は必要ではない」かといえば、違うようにも思います。というか、それは私の希望ですけど。
もう一つの方の考えの合理性とは、ビジネスにおいてのスピーディさや目標の対しての最善の手段を考え、失敗したら即座に切り替えることを意味しているんだそうです。そして、義理人情とは、自らの利益のみを考えないことや嘘をつかない、自信を持つ、自分も他人もハッピーを目指すことや人を愛することを意味しています。
やっぱり後者でありたいですよね。感情でなく実力が重視されるのは当たり前だけど、自分も他人もハッピーになれるようにと考えることは絶対に大事だと思います。

ある意味正解、ある意味不正解

この前、小説を読んでいたら、そこに出て来た会話がちょっと気になりました。外観は全然イケてないんけど、その味が絶品だという食堂が舞台なんですけど、そこで一人のお客さんが「人も料理も外見ではわからない」と言っていたんです。その一説を読んだ時に私は、正直「そうかなぁ?」といった気持ちでした。その言葉はある意味正解だとは思いますけど、別の見方をすれば不正解だと思うんです。たしかに、外見は怖そうでも、話をしてみるとすごく優しくてイイ人だったということがあります。また、B級グルメの中には、見た目はイマイチだけど『味は絶品』なんていうものもありますものね。けど、今までにビジネスの講習などでは、第一印象が大事だと教え込まれてきました。ほんの数秒で人の印象は決まるものだって。ご馳走だって、運ばれてきた瞬間に「わぁ、美味しそう」って思いますよね。そして、食べたらやっぱり美味しいんです。そう考えたら、『どっちもアリ』というのが正解なのかな。
でも、小説に「器の良し悪しと料理は比例する」という言葉も出てきたんだけど、これはほぼ正しいように思います。小説の舞台になっている食堂も外見はどちらかというと寂れているけど、一流の器を使っているのを見て、初めて訪れた女性が「きっと料理は本物なんだ」と期待をしたんです。やっぱりこだわりの料理はいい器に盛って出したいというのが、真の料理人の心なんだと思います。