車窓に映る私の向こう

先日の仕事の帰り、まだ夕方の通勤ラッシュの時間だったから結構混んでいて、座ることができませんでした。始発駅でもないかぎり、たぶん座ることなんて絶対に無理です。あとは、たまたま自分の前の席が空いたときにしか座れません。先日は結局、ずーっと立ちっぱなしでした。だから、電車での読書タイムはナシでした。
その日、何気に正面の窓を見ていたら、自分自身が映っていまいた。「お化粧がとれてない?」とか「疲れた顔をしていない?」なんて思って窓に映る顔を見ていました。そうして、自分自身を見ていたら、私の向こうに夜景があることに気づいたんです。もちろん、初めから車窓には景色が見えていたはずなんです。でも、人の目って不思議ですよね。見ているものしか見えないんです。さっきまでは窓には私の姿しか見えていなかったのに、意識が変わると夜景がはっきりと見えてきたんです。川が流れていてそこに灯りがいくつも見えました。そして、それを見ていたら、なんだか懐かしい気持ちになったんです。この雰囲気って、あの小説の雰囲気だって思い出したんです。頭の中に浮かんだのは、本の表紙のカバーです。実際に、その小説のカバーがその夜景みたいだったのかどうか……。家に帰ってからすぐに本棚を探しました。そしたら、驚くことに、これだって思っていた本は全く違う表紙でした。イメージって自分で作り上げてしまうものなんですね。きっと、その小説のストーリーとあの夜景に何か重なるものがあったのかもしれません。

純粋な質問

先日、電車で小説を読んでいたら、急に左足に何かがぶつかったんです。なんだろうと思って顔を上げたら、左隣の席が空いたから走ってきたみたいです。可愛らしい男の子がいました。すぐにお母さんも来て、彼はお母さんの膝にちょんって乗りました。3歳くらいでしょうか。「外国のお人形さんみたいだからハーフなんだな」なんて考えながら、また本に視線を戻しました。すると、隣から会話が聞こえきました。彼は顔だけ見ていると、英語やフランス語か……とにかく、外国語を話すイメージです。でも、全くの日本語でした。そして、聞いていたら、彼の質問が興味深くて、お母さんは何て答えるのかなって思わず耳を澄ませてしまいました。お友達か誰かの話をしているんだけど、「○○くんに会えるかな」って話すお母さんに対しての質問が本当に可愛いかったんです。「○○くんは、おんなのこ?」「くん、だから男の子だよ」「○○くんは、なにちょうさん?」って聞いてたんです?女の子か男の子かという質問をしてるから、彼が会ったことのない子のお話なんだなって、それはわかったんだけど、「なにちょうさん?」とは?って思っていたら、お母さんの答えを聞いて納得しました。「年中さんだったかな?」って。幼稚園って、年少、年中、年長って年齢によって分かれていますものね。次の会話は「ねんちょうさんの次はなぁに?」「次は小学校だよ」でした。そこまで聞いていて、私は自分が手元の小説を読んでいないことに気づいたんです。耳も意識も二人の会話にしっかり向いてしまっていました。そして、気づけばもう乗り換えの駅でした。でも、楽しい時間でした。

これは海外の物語!?

たまたま見つけて読んでいる小説があります。見つけて、というのも、本屋さんでではなく電子書籍です。だから、本当にたまたま、なんです。本屋さんの場合は、本を手に取るからある程度実感があります。あらすじや帯を読んで、中をパラパラとめくってみて、面白そうかどうかを判断します。けど、電子書籍の場合は違います。大まかなあらすじは書いてあるものの、書き出しの方だけ少し試し読みができたとしても、パラパラと中身を見ることはできません。だから、ある意味賭けです。
これはタイトルが気に入ったのと、表紙が爽やかで私の好みだったから選んだんです。でも、読み始めたら、「これは日本のお話?」と疑問に。海と空や砂浜が登場するんだけど、なんだか地中海をイメージさせる部分もあれば、日本の片田舎かなと思わせるところもあります。実は、未だこの物語が海外のお話なのか日本のお話なのかが掴めていないんです。紙の本ではまずこんなことはありません。全体像を見ることができていないからです。登場人物は、私とママ、そして友人。ただ、友人の名前がカタカナだから海外の可能性が高いかもしれません。そして、実は、主人公の少女、「私」の年齢も定かではないんです。始まりのイメージでは小学生かと思ったけど、友達とサーフィンをしに行ったり、誰かと誰かが付き合っている、という一節があるから、中学生か高校生か……。とにかく、今までにない不思議な小説なんです。この先を読むのが楽しみです。

著書の中の名言

夏目漱石は、小説や評論のなかにいくつもの名言を残しています。私が今までに見かけたものはどれも的を射ています。だから、夏目漱石という人が素晴らしい人なんだなってつくづく思うんです。
先日も、彼の評論の中にある一節を読みました。それは「どんな人でも人々から切り離されて新しい道を行ける人はいない」という一文です。「どれほど独創的なものでも、単独で急に生み出されることはない。そこに至るまでの先人が築いた基礎がある」といった内容です。なるほどなぁって感心します。普段、新しいことを始めなきゃ、とか、まだ誰も思いついていないことを考えなきゃ、なんて思って、近道はないかと模索しているんだけど、それは間違いなんだなって思いました。地道に研究や実績を学んで模倣してこそ、そこから新しい道へと踏み出せるものなんだそうです。そういえば、有名な画家さんがその昔、ルーブル美術館に通いつめて、名画の模倣をしたという話を何かで読んだことがあります。小説を読まない人には小説は書けないと誰かが語っていたのも聞いたこともあります。模倣や研究があって、それが基礎になるから新たなことを見つけられるんです。だとしたら、いきなり何かイイことがないかなって思っていた私は、絶対に無理なことを望んでいたっていうことですよね。

こっちがメインに!?

社会はどんどん進化していくから、当たり前のことが当たり前でなくなっていくんですよね。本だって、やっぱり紙の方がいいって思っていたけど、最近は意外に電子書籍は便利だなって思いますしね。年配の人にだって実は優しいんだそうです。何が優しいかっていうと、本は、特に文庫本は、文字が小さいから高齢者にとっては読みづらいけど、電子書籍ならタブレットを使うから文字も大きいし、さらに大きく調整できるから本当は楽なんですって。そう言われれば、そうですよね。実は、私も断然、紙の本が好きだったんだけど、最近はけっこう電子書籍寄りになってます。私はスマホで読んでるから、文字自体は小さいんだけど、持ち歩くには楽です。スマホはいつも持ってるから、ちょっとした空き時間にも読むことができます。それに、本棚を持ち歩いているのと同じことですもの。何十冊もがスマホの中にあるんですから。考えてみたら、スゴイですよね。いくつかのWEBサイトでは読み放題のプランなんていうのもありますしね。そのうち、そっちがメインになってしまうのかもしれません。そして、今度はまた新たな何かが登場するかもしれません。そういえば、小説家さんだって、その昔は原稿用紙にペンで書いていたのが、今ではパソコンでキーボードをたたいて綴るんですもの。未来にはさらに進化して、小説家は物語を声に出して語るだけで、それが文字に変換されるようになるとか。まさか。いえ、ありえます。

目の前にひこうき雲

先日の朝、車で駐車場から出たときに目の前に飛び込んできたのは、真っすぐに伸びたひこうき雲でした。フロントガラスの真ん前を横切るように見えました。先の方はうんと細くなっていると思ったら、そこには、まさに飛行機が飛んでいたんです。運転していた私は、「おっと、危ない、危ない」と視線を道路に戻しました。でも、あんなに綺麗なひこうき雲を見たのは久しぶりでした。子供の頃はもっと頻繁に見ていた気がするなって思っていたんだけど、そもそも大人になってからは昼間は仕事をしているから、あんまり空をゆっくり見る機会がないということなのかもしれません。
その時、運転しながら、私はひとつの小説を思い出しました。物語の中にひこうき雲が出てきたんだけど、それを『蜘蛛の糸』の物語と織り交ぜて主人公が語っていたんです。主人公の男性が幼い頃、ひこうき雲を見たときに、それがスルスルと自分の目の前に降りて来て、それにつかまって未知の世界に行くという空想をしていたという一節があるんです。でも、そのイメージってよくわかります。以前、私はほぼ縦にまっすぐに伸びている雲を見たことがあって、その時も『蜘蛛の糸』か『ジャックと豆の木』かという空想をしたものでした。空を見ていると、大人になった今でも、なんだか子供の頃の気持ちを思い出してしまうものですね。

『ごちそうさま』の返し言葉

先日、小説を読んでいたら、一人の女性が食事を終えて「ごちそうさま」って言う場面がありました。そして、それに対して「よろしゅうおあがり」との返し言葉があったんです。物語の舞台が京都だったから、これは京都の言葉です。登場人物が「よく食べていただきましたね」という意味だと説明していました。小説ではそこでひと悶着あったんです。そう説明された女性は「おあがりって言われたら、今から食べるのかと思ってしまう」と反論したんです。でも、京都では『ごちそうさま』とセットみたいなものなんだそうです。そして、彼女は自分なら「お粗末さまでした」と返すと。こういう言葉って地方によって色々なんですね。もちろん、どれが正しいなんてないんだと思います。けど、ふと考えたんです。私ならどうだろって。そして、子供の時に母親はどうだったかなって。もし、私が誰かに『ごちそうさま』って言われたら、たぶんそれまでに会話があるから、「はーい。気に入ってもらえてよかった」とか「次はもう少し頑張るね」とかって話すように思います。そして、母はというと、小さい頃は「よく食べたね」とか「全部食べてお利口だったね」なんて感じだったかと思います。でも、大きくなってからは「よく食べたね」とは言われていません。もちろん「お粗末さま」でもありません。にっこり笑って「はーい」かな。
けど、何か気の利いた言葉を返せたら素敵だなって思いました。いつでも返せるように、ちょっと考えてみようと思います。

年月が経てば変わるかも

先日、久しぶりに本の整理をしようと本棚の前に立ったんだけど、案の定、次々と手にとっては読んでしまいました。どうしても、はっきりと記憶にないものは中身を見てしまいます。直感で判断すればいいんだけど、そこは私のいけないところで、思い切りが足りないのかもしれません。でも、やっぱり思いきれなくて今回も処分せずに残した小説の中にある有名な作家さんのものがあります。彼のファンは日本だけでなく海外にも多いと聞きます。でも、私はというと、今までに何冊も読んでるけど、なぜかいつも「よくわからない」「面白いとは思えない」って感じてしまうんです。そんなに人気があるんだから、素晴らしい作品なんだと思うんだけど、心の中にスッと入らないんです。私がおかしいのかなって思えてきます。その小説を買ったのは、もう随分前です。話題になってるからという理由でした。でも、心に残らないから、自分の中では意味不明な本という位置づけで、本棚の中に納まっています。
けど、この前、テレビで、あるタレントさんが話してたんです。10年ぶりにある本を読んだら、以前はその良さがわからなかったけど、そこに託されている奥深いものが見えてきたって。自分にようやく受け入れるだけのものが整ったのかもしれないって。それを思い出したから、私も「面白いと思えない」その本をもう一度読み返してみることにしたんです。今まだ物語は序盤です。今のところは、特に何かが起こるわけでもなく、何ということもなく登場人物それぞれの生活が流れています。さぁ、今回は私の気持ちに何か変化が起きるのかどうか……ちょっと期待して読んでみます。

深夜の事件

翌日が休みだという夜は、何と言っても最高にのんびりできるものです。次の日が休みだというだけで、どうしてあんなにもウキウキするんでしょうね。夜更かししてもいいと思うと、平気でコーヒーだって飲めちゃいます。小説の続きだって途中で仕方なく止めなくても、とことん読むこともできます。深夜ラジオを聴くこともできます。たまに欲張って、ラジオを聴きながら本を読むこともあります。
そんなのんびりな先日の夜、事件が起こったんです。私はベッドに寝っ転がりながら、小説を読んでいました。まだ眠くないから、もう少し読んじゃおうという気持ちでした。うつ伏せからグルンと仰向けになったその時です。ガッシャーン。外で大きな音がしました。ワンコも驚いてウロウロしています。私は起き上がって耳を澄ませました。車のエンジン音と人の話し声がします。気になって、窓から外を覗いてみました。話し声は隣の家の方から聞こえます。どうも車が塀にぶつかったようでした。深夜だし、わざわざ外に出るのも野次馬みたいだからと、その時は家にいました。けど、その後も何やら少しざわざわとしていたから、気になってもう読書どころではありませんでした。かといって、すぐに眠ることもできません。小説は諦めてラジオに変えました。そのうち寝ちゃいましたけどね。翌朝に見たら、隣の家の塀はけっこう壊れていました。ぶつかったのが誰だか知らないけど、災難ですよね。まぁ、怪我人はいなかったみたいだから、それだけは不幸中の幸です。けど、トンデモな夜でした。

これは非常用です

先日、仕事中にものすごい睡魔に襲われてしまいました。あそこまでの睡魔は久しぶりです。前の晩にあまり寝ていなかったのかというと、そうでもなかったんですよね。朝、いつもより30分早く起きただけでした。けど、それが原因だったんでしょうね。ランチ後にデスクでパソコンに向かっていると、もう何がなんだかわからないような……。目は閉じていなかったはずなんだけど、完全に頭は死んでいました。以前、そんな時には糖分を摂れば良いというのを何かで読んだことを思い出して、友人からもらったマカデミアナッツのキャラメルを1つ引き出しから取り出して、口に放り込みました。そしたら、本当に意識がはっきりしたんです。効果抜群でビックリでした。その時に、帰りの電車でも眠くなるかもしれないと思って、念のためにキャラメルを1つバッグに入れておきました。
でも、それが大正解だったんです。案の定、帰りの電車でこっくりこっくりとなって、いつもなら読書タイムなのに、それどころではなくなったんです。隣の人にはもたれないようにと意識していたから、かろうじて、そこは免れていたんですけど。だから、バッグから例のキャラメルを取り出してこっそり食べました。すると、不思議、不思議。おとぎ話のような言い方ですけど、またしても目が覚めたんです。そして、読書再開です。その日、二度も助けてもらったキャラメル。これは非常用にいつも持っていた方がいいかもしれません。