回想した日

先日、電車で本を読んでいたら、こんな場面があったんです。主人公が子供の頃のことを回想する場面です。母親についた嘘を問い詰められて、泣きながら本当のことを話す場面です。でも、そこには親の愛情がすごくよく表れているんです。そして、主人公はそのことを大人になった今でも母親とのエピソードの中で何より心に残っているんです。それは自分がついた嘘への罪の意識からかもしれません。
実は私にもよく似た経験があるんです。そして、やっぱり同じように今でも罪の意識もありますし、幼い日の出来事なのに鮮明に覚えているんです。それは私が小学校の低学年の頃のことです。学校からの帰り道にすごくキレイなお花畑があったんです。幼いながらも、それは誰かが作っているということはわかっていました。でも、あまりにキレイだったから、つい出来心でいくつかを摘み取ってしまったんです。家に持って帰ってどこかに飾ろうと思っていました。もちろん、道端の草花じゃないことはすぐにバレます。「そのお花、どうしたの?」と聞かれた私は、お花畑のおばさんにもらったと嘘をつきました。そしたら、母は「それは良かったわね。でも、それなら一緒にお礼に行きましょう」と言ったのです。それは困ります。勝手に摘み取ったんですから。よく覚えてないけど、はぐらかそうと何か言ったと思いますけど、わかっていたんでしょうね。結局、白状して一緒に謝りに行きました。でも、母は頭ごなしに叱ったりしませんでした。だからこそ余計に自分がいけないことをしたんだと反省したんです。それは忘れることができない出来事として今でも心に残っています。

絆は永遠

この前,読んだ本のラストに書かれていた言葉がすごく心に残ったんです。『死』は必ず誰にでも訪れます。生あるもの全てに。人はそれぞれに寿命があって、そのタイミングが違います。運命は残酷だなって思うこともあります。
でも、その本では登場人物みんなが、もう会うことができないけれど心から大切だと思っている人の写真をそれぞれ持ち寄って、その人についての想いを語ります。自分の母親や父親、妻や兄弟の写真などを真ん中に飾って、懐かしい想いを共有するんです。一人で写真を見ていたら涙が溢れてくるかもしれません。でも、仲間がいるから、みんなそれぞれに大事な人がいるのだから、湿っぽくならないんです。そして、主人公は「亡くなった人を思い出すことは悪くない」と話します。そういえば、私も高校の同級生で若くして亡くなった友人がいます。同級生が集まった時には、必ず彼の話がでます。ただ懐かしむだけでなく、みんな、彼がそこにいるかのようにからかうようなことを言ったり、悪口を言ったりします。そして、笑い合うんです。どれだけ彼がみんなに好かれていたのかがわかります。
その本のラストの言葉。それは『死は命を途絶えさせるけど、その絆を途絶えさせることはできない』というものです。本当に心に響く一節だし、自分自身の体験からも体中に沁み渡る言葉です。