マニキュアもペディキュアも、塗っていると部屋の中にすごくにおいがこもりますよね。適度に換気をしながらやらなくちゃいけないのは分かっているのですが、窓を開けられないシーズンだったり、うまいこと換気扇がついていない場所だったりすると、なんとなく我慢すればいいかな~と思って、やり過ごしてしまうことが多いんです。私の場合や、周囲の友人の場合は結構これが多くて…。爪の手入れをしているときって、肌のお手入れと一緒で、一日の中のリラックスタイムに相当している人も多いですからね。もちろん、気合いをいれたオシャレということで、全然気が抜けず、「リラックスなんて生ぬるいことを!」っていうくらいの人もいますが…。友達とお泊り会なんかをすると、大抵誰かが塗り始めるので、もう誰も「シンナーくさい!」と文句を言わなくなっていた気がします。以前、小説の続きを読みつつ塗ろうとしたら、本に垂らしてしまって、これは駄目だと断念したことがありました。雑誌を広げながら、足でうまくストッパーをつくって塗っている友人もいますが、少し行儀が悪いので避けたいところで…結局、きちんと手元でやっていることに集中した方がいいんだろうなという結論に至るのです。
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四季のある国
四季がある国に生まれて良かったなと思うのは、自分で実際に情緒ある風景を見たときでもあるのですが、一番強いのは、やっぱり本を読んだときです。短歌や俳句などの作品から、小説や詩、マンガに至るまで、四季の影響を受けた言葉や演出、風景って、とにかくたくさん織り込まれているんですよね。ルールに「季語を入れなくちゃいけない」なんて、美しい四季があって、なおかつその四季を愛するために様々な言葉で言い表した人がいなければ、構成されないものだと思います。そのくらい、日本人は昔から四季を愛して、大切にして、側においておこうとしたんだと思うと、胸があつくなります。読解をきちんとしない限り、ぱっと読んだだけでは全然分からないような俳句でも、ふとした言葉の欠片から四季を感じることが出来ると、それだけで満ち足りた気持ちになることもあります。時代が変わるにつれ人も文化も変わって、たびたび「日本語の乱れ」ということが騒がれる世の中ですが、そんなに捨てたものでもないのかも、と感じるときもあります。絶対数が減っていくのは悲しいですが、文化として受け継がれていく四季の言葉は、忘れられることや、使われなくなってしまうことはないように思うのです。