何度も何度も読み返す

一番お気に入りの本って、何度も読み返してしまいます。もう展開も分かっているし、どの辺りでどんな風に場面がかわるかも知っているんです。下手したら、登場人物のセリフだって、ソラで言えてしまう部分があるくらいです。もちろん、全部のページというわけにはいきませんが、ほとんどそれに近い状態のものもあります。それでも何度も読み返してしまうのは、一体どうしてなんでしょう。未だに、手にとってページを開けば、わくわくしてしまうのはなんでなんでしょう。ふと、まだこの本を一度も読んだことがない人のことが羨ましくなることがあります。私はもう知ってしまっている展開を、その人はまったく知らないわけですから、いくらでも楽しむことが出来るんだなと思うんです。悔しい気持ちもあります。自分は既に読んでしまっているというだけなのに、ちょっとおかしな話だとも思うんですが…。「まだこの楽しみを味わえるなんていいな」というやつです。でも反対に、何度も読み込んで、それでもまだ読みたいというこの楽しみは、初めて開く人には決して味わうことが出来ないものですよね。人によって、場合によって、様々な楽しみ方があるのはとても素敵で、楽しいことだと思います。

やるせない最終回

ずっと好きだったシリーズや続きものが終わってしまうと、どんな形であれ、ものすごく寂しい気持ちになります。キレイな形で終わっていたら、「良い作品だったな」と思いつつ、やっぱり未練があって、魂が抜けたような気持ちになってしまうこともあります。不本意ながら、話の終わり方が納得出来るものではなくて、「どうしてこんなことになっちゃったの?」と悲しい気持ちになってしまうこともあります。こんなときもやっぱり、魂が抜けたような気持ちになってしまうんですけどね。作者に感情移入するか、作品の感情移入するかでまた話は変わって来ますが、たまに「どうしてこんなに好きな作品を、こんな形で終わらせてしまうんだ」という気持ちを抱いたりもします。一見憤りのようなのですが、やっぱり悲しみなんですよね。打ち切りという制度も存在してしまっているので、不本意ながらその結末にならざるを得なかった作品というのもあるわけで…。力量不足と言ってしまえばそれまでですが、そんなことばかりでもないですもんね。小説にしろマンガにしろ、運やタイミングも結構ありますから、もちろんそれらを組み込んだものを作って、「うんも実力のうち」と言えればいいのでしょうけれど…。

おそるおそる、こわごわ

大好きな小説のコミカライズって、読むのが楽しみな反面、不安な部分もあります。ファン心が行きすぎて、並々ならぬ思い入れをしてしまっている登場人物のデザインが、想像していたのと全然違ったらどうしよとか…。そういうことをたくさん考えてしまうのです。言動なんかも、文字だけだったらあれこれ想像出来たところを、実際の絵にして、マンガで動きをつけていくと、「想像していたのと全然違う!」と感じられてしまうことがあるんです。いつもいつもというわけではないですが…。自分の中では、想像していたものが最も正しい形になってしまっているのですが、なんせ公式設定はコミカライズされた方ですから、自分の中で信じていた作品の形が、思いもよらぬところで崩されてしまう可能性もあるんですよね。愛着もわきすぎてしまうと、こういうときに結構不便で、大変です。ただ、それを上回る感動に出会うことも多いので、コミカライズをはじめとするメディアミックスには、ついつい手を伸ばしてしまいがちです。「私の中の作品像はこうなっているから!」と突き放して、メディアミックスされたものにまったく触れないで生きていくのもまた寂しいんですよね。複雑な心境ですが、これも楽しめるようになるでしょうか。