最近増えたみたいです

毎日の通勤時間が私にとっては読書タイムになることが多いです。もちろん、電車で運よく座れたら、のお話ですけど。乗り換えはしますが、20分間くらい乗る線があるから、少しは集中して読むことができます。ページを開く前にいつも周りの人の様子を見るのがクセになっています。他に本を読んでる人がいるかなって。大勢いたら、なんとなく安心するような……。特に、隣に座った人がバッグから本を取り出したときには、その種類まで、時にはそのタイトルまですごく気になってしまいます。でも、露骨に覗くと失礼だから、そこは気づかれない範囲でチラッと横目で確認するといった感じです。
それにしても、以前はスマホを触っている人が断然多いなぁっていつも思っていたのに、なぜか最近は意外と本を開いている人が多いんです。気のせいかとも思ってみたりするんですけど、明らかに増えたように思います。ブームなんですか? 確かに、ビジネスに関するものでベストセラーになってる書籍が沢山あるように思います。電車の中吊りや壁の広告にも、様々なビジネス書が紹介されています。私も立っていたら、なんとなく広告を見てしまって、時々は、買ってみようかな、なんて思いますもの。読書家としては、電車の車両の限られた空間の中で、同じように読書をしている人が多いことは、なんだか嬉しいものです。そこに仲間がいるって感じますもの。

作品か人か

テレビの対談や雑誌のインタビューなどで小説家さんを見かけて、すごくイイメージを持ったら、その人の作品を探して読みたくなります。そして、読んでみたら面白かった、となれば、もうファンになってしまいます。それは、文学賞を受賞したなどけっこう話題になっている人の場合が多いかもしれません。でも、逆のことも多いです。何か目的があるわけでもなくブラブラと書店の中を見て回っているときに、平積みされている本や、時にはたまたまそのタイトルに目が留まった本から入るときです。その小説家の情報が私にあるんじゃなくて、その人に興味があるわけでもないけど、作品にはものすごく惹かれたという場合です。大概はあらすじや帯を読んでみて、あとは直感で決めます。そんな風にして選んだ小説が面白かったら、それからはその小説家さんの作品を続けて読みたくなります。中には、どれも外れがないと思える人もいます。それだけ、面白いものを書き続けられるなんて、スゴイ才能だなって思ってしまいます。少し前にも、そんなことがあったんです。本当にたまたま見つけて「イイかも」って思ったから買ったんだけど、その内容にものすごく期待をしていたかというと、そこまでではありませんでした。けど、その予想は大きく外れてどっぷりハマってしまいました。だから、このところ、続けてその人の作品を読んでしまってます。

義理人情ということ

先日、続けて読んだ記事に正反対のことが書いてありました。ひとつは「義理や人情で仕事をする時代は終わった」というもので、もうひとつは「ビジネスの世界で必要なのは合理性と義理人情だ」というものです。たまたま読んだビジネスに関する記事ですが、考え方は人それぞれなんだなぁというのが正直な感想です。たぶん、どっちも正しいのかもしれません。
義理や人情では商売はできない、というのもわかります。一昔前とは違って、今の時代は実力が物を言う時代なんだと思います。何か落ち度があれば、一瞬にして取引が終了したりしますしね。『あいつはいいやつだから』という理由での取引なんて、ないと思いますしね。でも、取引は機械がするものじゃなくて、人間がするものだから、「一切の義理や人情は必要ではない」かといえば、違うようにも思います。というか、それは私の希望ですけど。
もう一つの方の考えの合理性とは、ビジネスにおいてのスピーディさや目標の対しての最善の手段を考え、失敗したら即座に切り替えることを意味しているんだそうです。そして、義理人情とは、自らの利益のみを考えないことや嘘をつかない、自信を持つ、自分も他人もハッピーを目指すことや人を愛することを意味しています。
やっぱり後者でありたいですよね。感情でなく実力が重視されるのは当たり前だけど、自分も他人もハッピーになれるようにと考えることは絶対に大事だと思います。

ある意味正解、ある意味不正解

この前、小説を読んでいたら、そこに出て来た会話がちょっと気になりました。外観は全然イケてないんけど、その味が絶品だという食堂が舞台なんですけど、そこで一人のお客さんが「人も料理も外見ではわからない」と言っていたんです。その一説を読んだ時に私は、正直「そうかなぁ?」といった気持ちでした。その言葉はある意味正解だとは思いますけど、別の見方をすれば不正解だと思うんです。たしかに、外見は怖そうでも、話をしてみるとすごく優しくてイイ人だったということがあります。また、B級グルメの中には、見た目はイマイチだけど『味は絶品』なんていうものもありますものね。けど、今までにビジネスの講習などでは、第一印象が大事だと教え込まれてきました。ほんの数秒で人の印象は決まるものだって。ご馳走だって、運ばれてきた瞬間に「わぁ、美味しそう」って思いますよね。そして、食べたらやっぱり美味しいんです。そう考えたら、『どっちもアリ』というのが正解なのかな。
でも、小説に「器の良し悪しと料理は比例する」という言葉も出てきたんだけど、これはほぼ正しいように思います。小説の舞台になっている食堂も外見はどちらかというと寂れているけど、一流の器を使っているのを見て、初めて訪れた女性が「きっと料理は本物なんだ」と期待をしたんです。やっぱりこだわりの料理はいい器に盛って出したいというのが、真の料理人の心なんだと思います。

落第が転機に

だれもが知っている文豪たち。なかなか優秀な人が多いですよね。やっぱり文章に秀でた人は、成績も優秀なのかなって思ってしまいます。けど、先日、読んだ本に書いてあったんだけど、優秀な文豪でも一度くらいは挫折しているものなんだそうです。というより、挫折を経験した人の方が、それが転機になって、その後の成績がさらに素晴らしいものになったりしてるようなんです。そこには、夏目漱石と志賀直哉のことが取り上げられていました。まず、夏目漱石は、典型的な優等生なんだけど、一校在学中に落第を経験しているんです。でも、それが却って良い結果を招いているんです。落第以降、一校を首席で通して、大学でも特待生だったんです。漱石は、若い頃に一度くらいは挫折を経験した方が人間的な奥行きを獲得できると言っているんですって。一方、志賀直哉も学習院中等科時代に落第をしているんです。でも、そのおかげで、武者小路実篤と同級となったことがきっかけで生涯、友情を育んだということです。まさに、二人とも、落第が人生の転機だったと言えますよね。何事もなく順調に進み過ぎると、それが当たり前になってしまうから、自分自身を見つめ直すことができないのかもしれません。苦労があったり挫折があったりしないと、学べないこともあるんですね。そんな風に有名な文豪たちも挫折を味わっていたなら、凡人の私なら当然です。仕事で上手く行かなくったって、そこから学ぶことがあるって思うように努力します。

斬新な図書館

最近の図書館は何かとスゴイっていうのは以前にも読んだことがあります。大学の併設であっても一般公開をしているところも多いらしいです。そして、その規模も大学の規模と同じようにかなりのものだそうです。本の数もですが、いかに快適に過ごせるかという点も重視されています。カフェスペースがあるところやDVDなどを視聴できるスペースが設けられている場合もあります。中には24時間利用できるところもあるんですってね。でも、先日、目にした記事はある大学の図書館を紹介したものだったんですけど、そこはまたちょっと他にはない特徴がありました。それは、蔵書のうち30パーセント以上が漫画だというんです。もちろん、新刊や文庫本も充実しています。普通、大学に併設であれば学術書が沢山あるというイメージですよね。これはかなり斬新です。若者の読書離れが進む中、漫画を入り口に学生の知的好奇心を刺激したいという狙いがあるんだとか。24時間いつでも利用できる自習棟も併設しているというんだからスゴイです。そして、カフェも併設していて、一般の人も利用できるんですって。なんだか夢のような図書館です。きっと、その図書館があるから、その大学を選ぶという学生もいるんじゃないかな。私の家の近所にもそんなところがほしいです。

夜行バスのトイレ

ちょっと意外というか興味深い記事を見かけたんです。それは、長距離の夜行バスについての記事です。そして、その内容はというと、『夜行バスにトイレは必要かどうか』というタイトルだったんです。私は今までに何度か夜行バスを利用していますけど、トイレはついていて当たり前だと思っていました。途中のサービスエリアで休憩はあるにしても、車内にないとなるとなんだか不安な気がします。まぁ、今までにバスを利用したときに車内で使ったかどうかというと、使ってはいないんですけどね。その記事にはあるバス会社の人のお話が載っていたんだけど、その会社ではもともと標準仕様でトイレがついている車両を除いては、あえて設けていないんだとか。なぜなら、以前、女性のお客様が多く乗られているときに、臭いや音が気になるとの声もあり、恥ずかしいから使わないと言われることも多かったんだそうです。そして、現に同料金でトイレ付きとトイレ付きでない車両を販売をしたところ、付いている方が売れ残ったというんです。ただ、昔に比べて、今は利用者の年齢層もかなり広がってきているから、そのあたりは再考の余地があるとのお話でした。それにしても、考え方は人によって違いますね。それでも、私はやっぱり保険として付いていた方が安心かなぁ。

まるでロボットな一日

先日、久々に寝違えてしまいました。朝、起きたら「痛っ」って左を向けなかったんです。普通に寝ていたはずなんだけどな。そもそも寝違えってどうしてなるんでしょうね。おかしな方向を向いていたんでしょうか。そこがわからないから、いつも不思議だなって思っています。そして、「あぁ、やっちゃった」と思うわけなんです。
先日は仕事に行かなきゃダメなのに、さっさと準備ができないんです。やっぱり首って大事なんですね。そこが調子悪いというだけで、動作がスムーズじゃないんです。動かさなければ痛くはないけど、違和感は満載です。週末だったから運よく電車には座ることができました。足や腰じゃないから座ってても立っててもあんまり関係なかったのかもしれませんけど。でも、気分には影響します。バッグからそろそろと本を出しました。ちょっとしたことで痛みが走りますもの。けど、意外にも読書の体勢は全然平気でした。良かった。
でも、事件は起こりました。乗り換え駅に着いたときです。本をバッグにしまってから無意識に車窓からホームの方を見てしまったんです。思いっきり首をひねって。一気に来た痛みに「うーっ」と心の中で叫びました。寝違えてることを完全に忘れてしまっていました。
職場に着くころには、首だけでなく肩にまで違和感が広がっていました。その日は一日中、まるでロボットのような動きでした。だって、正面にしか顔を向けることができなかったんですもの。

美味しい小説

小説には色んな種類があって、中には料理や食べ物が題材になっているものがあります。読んでるだけで、その料理が目に見えてきたり、いい匂いがしてきたりします。もちろん、自分が知らない料理は勝手な想像をするわけだから、本当の物とは異なったものをイメージしているときもあるとは思うんですけどね。今、読みかけている小説もそうなんです。京都が舞台なんだけど、エピソードごとに何かしらのお料理や食べ物が出て来ます。京料理もたくさん登場するから、私の頭の中は勝手な想像といわゆる『はんなり』したイメージが出来上がります。物語は衝撃の事件があるわけでもなく、小川が流れていくような感じで優しく穏やかに進んでいくんです。こういう小説ってヘタすると退屈だったりするのに、この物語は全然退屈ではありません。美味しいご馳走をゆっくりと味わうように、登場人物の心の通い合う様子や心の動きを楽しめるんです。たまには、ドキドキやワクワクでのめり込むような物語ではなく、ゆったりと癒されるようなものもいいですね。そんな中では大事件じゃなくて、ほんの小さな出来事が心をつかんで止まないんです。まだ読み始めたばかりだから、読破するにはもう少し時間がかかりそうです。でも、もう完全にハマっています。だから、これからの展開が楽しみで仕方がありません。

人は思い通りにはならない

先日、読んだ記事にこんなことが書いてありました。『人は人生という学校に来ている』って。そして、そこで学ぶことは途轍もなく時間がかかるものなんだって。だから、誰かの振る舞いにいちいち感情的になるべきではないんですって。自然の流れに任せておけばいいんです。学びの期間と考えれば、だんだん賢くなっていくものなんです。確かに、世の中には色んな人がいます。私なんかは偉そうに誰かに注意なんてできないけど、職場でも上司から注意されてもなかなか態度を改めることができない人がいます。けど、誰に対しても目くじらを立てるべきじゃないらしいんです。考え方によれば、それは正しいって私は思います。なぜなら、以前に読んだ本に書いてあったんだけど、他人は思い通りにはならないものだって。たとえ家族でもそうで、それが子供であっても赤ちゃんであってもそうなんです。一個人だから、自分の思いや考えがあるんです。思い通りにできるのは自分自身だけなんです。これって、本当にそうですよね。誰かに自分の都合のいいように変わってもらおうなんて思っても絶対に無理なことで、できることは自分が変わることなんです。自分が変わる努力をして、少しでも人から尊敬されて愛されるように努力することが、何事も上手く行く近道で、きっと一番大事な事なんだと思います。