続編が読みたいです

小説を読み終わった時に、すごく清々しいとも言えるような感覚になることがあります。その終結に満足しているときです。けど、そうではなく、感動したり、面白かったなって思ってはいるけど、その続きはどうなるんだろうって、なんとなく気持ちの治まりが悪いように思うこともあります。気持ちの治まりが悪いと言ってもネガティブな意味ではありません。言ってみれば、続きを知りたいということだから、ポジティブな気持ちなんですよね。
実は先日もそうでした。今まで私にとって興味がなかったことや知らなかったことが題材で、そんな世界もあるんだなぁってどんどん引き込まれてしまいました。家でも通勤電車の中でも、職場でも、とにかく一気に読んでしまいました。読後はまるで、映画を観終わった時のような感覚でした。なぜなら、私の頭に中にはしっかりと映像があったんですもの。そして、小説の終わりは『完』ではなく『続く』という感覚だったんですよね。そしたら、なんと続編があったんです。私が知らなかっただけだったのかもしれませんけど、運よく見つけたんです。面白かったからその作家さんの他の本を読んでみようって探していたら、目に留まったんです。もちろん、買いましたよ。今、読み始めたところです。「なるほど」と思いながらワクワクしています。今後の展開が楽しみです。

冷蔵庫を開けたくなる小説

小説の題材が食べ物というものが時々あります。読んでいて美味しそうな物が出てきたら、思わず食べたくなります。スイーツなら仕事帰りに買って帰りたくなるし、お料理なら作ってみようかなって思う時もあります。小説のスゴイところは、文字だけなのにいつもその気にさせるところです。映像も匂いも音も、そして味や手触りまで感じる事ができるんだから、我ながら驚いてしまいます。実は今、すごく読んでみたい小説があるんです。先日、見かけた本の紹介の記事にあったものです。何がって、その紹介記事のタイトルに興味が湧いたんです。だって、『夜中に冷蔵庫を開けたくなる小説』っていうんですもの。明らかに食べ物系だということはわかります。けど、「一体どんな物語り?」って思いますよね。でも、記事に書いてあった主人公の様子が目に見えるようで、すごく可笑しくて。何とも滑稽で愛すべき人物なんです。その主人公に会ってみたいという衝動が湧きました。そして、それを読んだら果たして本当に冷蔵庫を開けたくなるのかなという点も確かめてみたいところです。早く読みたいという気持ちが、早く食べたいという気持ちに何だか近づいているような不思議な気持ちです。近々、書店で探します。もし、見つからなければ取り寄せてでも読まなくっちゃ。

著作権法って……

先日、職場の人から「ちょっとこれ見て」と言われて読んだ記事があります。それは著作権法に関する記事でした。「なんだか難しそう」という気持ちから、思わず読む気が失せるのを必死で持ち上げながら読んだんです。けど、それはかなり大事な内容で、ビックリしました。今は無断で結婚式や披露宴の時にBGMを流すことが出来ないんだそうです。申請をして許諾を取って、料金を払わないといけないんです。いつからそうなったんだろうって、なんだか不思議な気持ちでした。学生の頃なんか、平気で何でも曲を使っていたような気がします。その頃からそうだったのか、そうでなかったのか、最近になって厳しくなったのか。けど、そういえば 、いつからかネットでも勝手に音楽のダウンロードができなくなったことを思い出しました。必ず課金されます。それが著作権法の関係なのかな。自分が買ったCDであっても公の場で流すのはダメみたいなんです。まぁ、家で自分だけで楽しむのは、もちろん関係ないんですけどね。
本はよく読むけど、法律は苦手です。その手の本はまず読まないですもの。けど、「知らない」では済まされないことって、やっぱりありますよね。その著作権法だって、刑罰や罰金は相当なものだったんだもの。常識的なことは、やっぱり意識しておかなきゃいけませんね。

それは童話の中に

子どもの時には誰でも絵本を読んだと思います。私も小説を読み始める前、読書のきっかけは幼い頃の絵本でした。絵本には日本の昔話をはじめイソップ物語やアンデルセン物語、そしてグリム童話などが代表的です。子どもたちが楽しむためのものです。そのほとんどが勧善懲悪で、良い行いを勧めて悪を懲らしめる物語です。
それらには、実はビジネスで成功するための教えが沢山あるんだとか書かれた記事を先日読んだんです。『ビジネスマン向けに童話の読み方を説いた本』の著者に焦点が当てられていました。そこに取り上げられているのは『桃太郎』のお話しです。なぜイヌとサルとキジは桃太郎の鬼退治という難事業に賛同したのか……と考察してあるんです。考えられるのは、きび団子という報酬以上に、悪い鬼をやっつけて村人の宝を取り返すという志に共感したからだと著者は指摘しているんです。そう言われればそうですよね。桃太郎がいくらきび団子をあげても、彼の私利私欲のためであれば、家来にはならなかったでしょう。やりがいのあるプロジェクトだったから、『桃太郎』というリーダーについていったと考えられるって。確かに筋が通ってますよね。今の社会にもぴったりあてはまります。成功している人は、きっとこの理屈にあてはまったリーダーシップを取っているんだと思います。そう考えたら、本当に童話の中には色んなヒントがありそうに思えてきました。大人の思考でもう一度読んでみると、きっと新たな発見があるに違いありません。

読破した時の達成感

紙の本と電子書籍との違いだとか、どちらが良いのかという論議はよくあります。それぞれにメリット、デメリットがあるから、その時々で使い分けるか、もしくはどちらか自分の好みの方を選ぶか、ということだと思います。私もそれはいつも悩むところで、どちらにも利点はあるから、使い分けている方になります。でも、好みから言うと紙の本の方が好きです。実際に読んでいるものといえば、断然そっちが多いですから。
この前、読んだ記事にもそれについて書いてありました。そこには、シリーズでの大著に関しては絶対に紙の方で読んでほしいと書いてあったんです。そこで紹介されていたものは、なんと43巻ものハードカバーでした。その内容にも依るんだと思いますけど、手に取る『物』としての感じをしっかり味わいながら読んでほしいと。指が触れている感触やページをめくった時に脳の神経を刺激する瞬間が精神的に自分の感覚をチューニングできるんだとか。そういう難しいことはよくわからないけど、43巻もの大著の場合は、読み切ったという達成感が紙の本の方が絶対に大きいと思います。全体を振り返る時にも、振り返りやすいです。電子書籍の場合はどれほどの大作だったのかが目に見えるものがありません。もちろん、コンピューター内の本棚にはあるにしても、そこは実物とは雲泥の差でしょう。これに関しては、紙の方に一本というところですね。

ガリガリ君の生みの親が語る本

誰もが知っている、そして大好きな「ガリガリ君」。季節ごとに色んな味も登場するし、アイスの中では大ヒット商品ですよね。そんな「ガリガリ君」の生みの親である筆者が、『仕事の本質』『ヒット商品の本質』そして『自分らしく働くこと』について語っている本の紹介を先日見かけました。自分らしく働くために何より大事なことは、理不尽な評価はいちいち気にしないことなんだそうです。社会に出ると理不尽な評価を受けることが多々あり、それはどこの会社でも当たり前にあると書いてあります。私は思わず「あるある」と頷きました。まず、それが当たり前のことなんだと知っておけば、深く傷つかずに済むというんです。そして、そのことについて落ち込み続けたところで、何も変わらないと。なるほどです。ついついずっと気にしてしまいますものね。だから『誰のために働いているのか』を考えてみることが大事なんだそうです。基本的には働くのは自分のためだと考えることがベストなんだそうです。また、「会社は他人が自分を評価するところであり、そのことは自分ではどうにもできないこと」だと割り切ることが大切なんだって。そして、「自分として満足のいく仕事ができたかどうか」を考えて判断してみることが重要なのです。その時に気を付けないといけないのは、うぬぼれないこと。そうですよね。うぬぼれると、努力をしないし絶対に伸びませんものね。
その本では、ガリガリ君の色を「地球色」にしようと思い立った時のことが書かれているんだそうです。ガリガリ君のエピソード、すごく興味あります。この本から私も仕事の本質を見つけてみたいな。

恋人、夫婦の良い関係

昔に比べたら、最近は独身の人が増えていますよね。どうも十代の子たちだって、彼氏彼女と一緒に過ごすより同性と一緒にいる方が気兼ねなく楽しいって言っているらしいんです。それは社会人になればますます強くなる傾向にあるみたいです。金銭的なことも含めて、結婚すると自分の自由がなくなるという考えに基づいているんだとか。
この前、そんな人たちに向けたコラムを見かけました。私もどっちかというと自分ひとりの時間を大事にしたい方です。読書もそうだし、他のことでも、一人の方が自分の都合だけで動けるし、気も使わなくて気楽だと思っています。そのコラムのテーマは『恋愛関係や結婚生活を長続きさせるために』というものでした。そこには、お互いの生活スタイルを尊重することが大事だと書いてありました。無理に同じ空間にいようとしないことって。これ、本当にそうだと思います。何がなんでも一緒にいなきゃってなると疲れちゃいますもの。それから、「○○しないといけない」は捨てることが必要なんだって。たとえば、「ごはんは必ず一緒に食べること」とか「何かあったら絶対に話し合うこと」とか。一見良さそうに思えるこれらもストレスを与えるんだとか。直接面と向かって意見を言うことが苦手な人もいるし、であればLINEなどの文字で意見を交換しても悪くはないって。確かにって、ものすごく納得です。そして、一番重要なことは、お互いの仕事については口出ししないということなんだそうです。特に男性はプライドもあって、簡単に踏み入られたくないと思うことが多いですものね。けど、女性だってそうです。むやみに意見されたくないというか。仕事に関しては、お互いが聞き役に回ることができればうまくいきます。
なるほど。一人の人間として個人の時間を持てるようにすることが大事で、そして、それぞれが自分らしく生きることがお互いの関係を長続きさせるポイントになるんですね。

森のバターに脱帽

女子には絶大な人気を誇るアボカドが私も大好きです。だから、「アボカド」という文字がつく料理は食べなくても間違いなく美味しいだろうと思ってしまいます。サラダはもちろん、パンに乗せたり、マグロのお刺身と合わせたり。生ハムとも相性抜群です。お寿司にだって合います。「森のバター」と呼ばれていて、世界一栄養価が高い果物として認定されているんですよね。ビタミンやミネラルも豊富だから美容にもイイですしね。そんなアボカドのちょっと意外なメニューを先日、雑誌で見かけたんです。それはチャーハンなんです。今までチャーハンにアボカドという発想は私にはありませんでした。豚小間切れ肉を使うから食べごたえもあって大満足だって書いてありました。アボカドは最後の方にネギとともに入れて、味付けは醤油と塩、コショウです。仕上げにもみのりを乗せるっていうから、なんと和風のチャーハンです。こんなにも和洋問わず何にでも合うものってなかなかないと思います。「森のバター」には脱帽です。この記事を読んでから、こんなに何にでも合うんだから、自分でも新たなメニューを考えたいなって思ってるんです。とびっきりの美味しいものが出来たら、友人にご馳走してあげて、ちょっと自慢できそうですもの。

ヴァカンスって憧れ

日本人はよく働く人種だと言われていますよね。外国では数時間の昼休みがあったり、午後にはお昼寝をしたりと、日本では考えられないことがたくさんあります。そうそう、ヴァカンスをいう言葉も馴染みがないですよね。その言葉にぴったりくるようなことがまずないですもの。私のイメージでも海外のお話という感じです。早朝には小鳥の声を聞きながら散歩をし、昼間はビーチの木陰で本を読んだり昼寝をしたり、陽が落ちてきたら砂浜を歩いて夕日の美しさに見とれて、夜はゆっくりと夕食を楽しむ。憧れます。
先日、読んだコラムにはフランス人のヴァカンスについて書いてありました。それは、私のイメージに近く、日本での長期休暇とはおよそ異なったものでした。そもそも『ヴァカンス』とは『空っぽ』という意味なんだそうです。何もしないでボーっとすることを指しているんです。だから、日本人のように帰省をしたり観光をしたり、お祭り見物などあちこちに忙しく遊びに行ったりする休みではなく、一か所に滞在して何もしないで、のんびりと過ごすというスタイルなんだそうです。次の仕事のために心も体も十分に休めるという目的なんでしょうね。考えてみたら普段、何もしないでボーっとすることなんて、ほとんどないです。何もしなかったら時間がもったいない、なんて思いがちですもの。けど、本当は違うのかもしれません。『何もしないこと』が一番の贅沢であって、本来の休暇なのかもしれません。

今日の読書率

電車に乗っていると周りの人のことをついつい観察してしまいます。もちろん、座れて小説の続きを読み始めたら、周りのことなんて気にはしなくなるんですけどね。それでも、誰かの話し声や途中の駅で乗って来た人たちが賑やかだったりしたら、顔を上げて見てしまいます。先日の通勤の時のことです。乗換えの駅で私鉄からJRに乗り換えて、本当に運よく座れたんです。この路線ではほぼ立っていますから。せっかくだから、ほんの15分くらいだけどバッグから本を出しました。その時、ふと思ったんです。「あれ、いつもと違う」って。いつもは本を手にしてる人はいても、スマホを触っている人の方が圧倒的に多いです。でも、その時は私が座っているシートと向かいのシート、つまり私から見える範囲だけでも、6人は読書をしていたんです。私を入れたら7人です。これって多いですよね。あの人もこの人もって感じでしたもの。こんなことは初めてかも。そのうち、一人は小学生で、一人は英単語の本を見ていました。他の人達は何を読んでいたかはわかりませんが、とにかくほんの一角でここまで読書率が高いのは珍しいです。ちょっと嬉しくなって、「さぁ、私も」って思ったら到着駅のアナウンスです。そうです、アッという間に15分経っていたんです。仕方がありません。でも、「きっと読書日和なんだな」なんて思いながら、本をバッグに入れて電車を降りました。