コミケに行ってみたい!

昔好きだった作品の続編がいつの間にか出ていて、少し驚きました。完全に完結したものだとばかり思っていたので、チェックを怠っていました。どうやら同人誌で出されたもののようで、慌てて買おうとしても遅きに失した模様です。残念。
少女小説やBL小説などの作家さんが、コミックマーケット等の即売会で、ご自身の作品の番外編などを頒布されることが、最近増えてきたように思います。そちらの畑出身の作家さんが増えたということでもあるのかもしれませんね。
コミックマーケット、その噂はかねがね漏れ聞いております。特に夏には、集った人々の熱気と汗で、室内に雲が出来るほどなのだとか。行ってみたくはあるのですが、若い頃ならともかく、今はあのものすごい人混みに耐えられるかどうか……。ネット上に上がっている写真などを見ても、すごい人出ですよね。
頒布されているのも、いわゆるパロディコミックなどだけではなく、資料価値の高いものがあったりするとのことなので、年々行きたい気持ちがうなぎ登りです。以前参戦したことがある友人いわく、効率的に回りたいなら、先にパンフレットを買ってマップに印を付けておけとのこと。そして、人気のあるサークルさんの本が欲しいなら、会場の外に並ぶのを覚悟しておけとのこと。……彼女をガイド役として巻き込むのが1番良い気がしています。

かつて好きだったもの

昔、とても好きだった小説家さんがいました。その人は今でも愛好家の多い大ヒット作を生み出し、私もいわゆる「信者」となって応援していました。もう完全に過去形になってしまっていますが。関連本はほとんどを買い集め、少数にしか行き渡らなかった限定版はオークションを駆使して大枚をはたき、ほんの少しの差分に狂喜乱舞し……と、今思うと本当に熱狂的な時期でした。
転機が訪れたのはついこの間のことです。あの大ヒット作と世界観を共有した続編が発売されるとのことで、それはそれは浮かれていました。非常に特徴的な文体と、いわゆる「鬱」な方向に話を持っていきがちな作家さんだったので、かつてほどのヒットが見込めるかどうかはファンのコミュニティでも意見が分かれていました。
で、蓋を開けてみたら、まあ、もう、何というか、ひどかったです。面白い面白くない以前に、文章がまったく練れていないんです。句読点が多く、読みづらく、そしてとにかく難解な言い回しをすることに執心していらっしゃるようで、ストーリーを追う前に心が折れてしまいました。
その作家さんはSNSをやっていらっしゃったのですが、批判が段々と強まるにつれて、かなり激しい言葉で応酬されるようになってしまいました。こんな形で思い出が崩壊すると、少し、切ないですね。

売ったはずの小説

売ったはずの本を惜しく思い、新たに買い直したところ、後日発掘された古いダンボールから、その売ったはずの小説が出てきてしまいました。さすがにちょっと落ち込みました。しまったまま忘れていたんだなあと……。なくして初めてその価値に気付いたはずだったのに……。
まあそんなこともありますよね。とりあえず古い方はさくっと某チェーン古書店に売り払いました。長いこと埃臭い場所に詰められていたせいで、だいぶ傷んでいたのですが、某チェーン古書店の査定に出すと、1冊1円で売れました。ここは状態のよくないものでも結構買い取ってくれるので好きです。書見がてらちまちまと持ち込んでいます。しかし、「買い取れません」「では処分でお願いします」とやりとりしたはずのものが普通に売り場に並んでいるのを目にした時は……ちょっとツッコミたくなりました(笑)。
それにしても、人間の記憶というものはあやふやなものですね。単に私の頭がアレというだけかもしれませんが。自分でしまったことを忘れて、売ってしまったと思い込むだなんて……。これを期に、管理できない量の本についてはちょっと処遇を考えたほうがよいかもしれませんね。手間と時間と思い入れを考えると、なかなかできないことではあるのですが。

おそばとお茶漬け

某大都市に出張してきたという友人が、私の大好物のお麩饅頭の他に、ひつまぶしの素を買ってきてくれました。レトルトパウチになっているうなぎをご飯に乗せ、ふりかけを掛けて、お湯を注いだら出来上がりという簡単仕様。ほんのりわさびが効いた風味が大好きです。ずるずるはふはふ、某お茶漬けのCMのように食べると、よりおいしさが増すような気がしています。
我が家の地方でもひつまぶしを食べられることは食べられるんですが、そうそう気軽に食べられるお値段ではないのです。まあそんなわけで、いち小市民には色んな意味でちょうどよい感じです。
ずるずるはふはふと言えば、日本を訪れた外国人が驚く習慣として、麺類を音を立てて啜る、というものがありますね。夕方のニュース番組などを夕食づくりの合間に見ていると、旅の恥はかきすてとばかりにノリノリでやってみる人、とても恥ずかしそうに控えめな音を立てて啜る人、色んな反応を見られる機会があって面白いです。
音を立てることによって空気を共に吸い込むことになり、香りの良いものはより香りを楽しむことが出来る……という話を聞いたことがあります。確か時代小説だったと思うのですが。夜鳴きそばの食べ方だったかな?お茶漬けにも適用されうる話ですよね。

今は苦しくても、いつかは

相手側からしたら何気ない言葉だったとしても、受け取った側としてはものすごく傷ついてしまうような言葉だった……。生来の気質が神経質な私としては、こういうこと、よくあるんです。気にしすぎても辛いだけだと分かっているんですが、相手の言葉尻やら単語の選び方やらが気になって、何とも無神経に思えて、勘に触って、どうしようもない、という……。
物心つかない頃からこうだったようですから、半ば諦めていました。その手の自己啓発本や、自ら鈍感になるためのあれこれをエッセイなどで発表していらっしゃる小説家の方の本などを読んでみても、ちっとも身につきませんでした。
少しずつ改善されてきたような気になり始めたのは、もうすぐ○○歳、という区切りが近づいてきてから。一般的にはいい大人と目される歳です。あからさまに悪意を向けられたのでない限り、「まあ、いっかー」と流せることが多くなってきました。
そのことにふと気付いてから、かつて通りすぎてきた自己啓発本やら鬱系の青春小説などを読んでみると、その中でお説教されていたことを案外身に付けていることを発見しました。全部が全部ではなく、無意識にこびりついていたようなものがじわじわと溶けこんでいったような感じ、でしょうか。次の区切りの歳には、もっと楽になるのかなあと思うと、ちょっと楽しみです。

1度考えると止まらないこと

扇風機に顔を近づけ、「ワレワレハ、ウチュウジンダー」。子供の頃、友人とよくやっていました。今でもこの文化(?)が残っているらしいことを聞いて、とてもうれしく思いました。時の流れは待ってくれません(なんて言うと、途端に重い話のように感じますね)。自分たちがかつて楽しんだものが若い世代に受け継がれていると思うと、何と言いましょうか、ただ風化していくだけのもの――だけがこの世に存在するわけではないのだなあ、という感慨が湧くのです。ちょっと、いえ、すごく大げさですけれども。
今読んでいる小説なども、100年先、200年先にはどれだけのものが歴史に残っているのだろうなあ、なんて考えてしまうことがあります。記憶媒体が発達していますから、紙の本のように焼失したり、分散流出してしまうようなことはほぼなかろうと思うのですけれども。
私という個人も、後に何を残せるんだろうとか、宇宙規模で見たらノミやミジンコなんてレベルじゃないなあとか、色々考えてしまいます。考えても詮ないことだと分かっているのですが、ふとした瞬間にスイッチが入ると、もう止まりません。怖い、と感じることもあれば、それならそれで好き放題生きてやらあ、と気が大きくなることもあります。たまにはそんな時間も良いかな、と思います。

愛蔵版をどうするか

とある大型本を手放そうか迷っています。私の大好きな海外ミステリー小説の、とみに有名なエピソードのみを抜き出して収録したもので、愛蔵版として非常に高価な金額で売り出されたものでした。各エピソードになぞらえた豪華装丁がなされていて、読むのも触れるのももったいないと感じる余り、化粧箱から取り出す時は薄手のゴム手袋を嵌めていました。もちろんじっくり読むようなことはせず、ただ眺めては悦に入っていました。
ファンとしては是非とも押さえておかなければならない逸品、と考えて買ったこの本……。しかし時が経つにつれて、「実は要らないものだったんじゃないか?」という気持ちが芽生えてきました。素敵なものを所有しているという満足感はあるものの、読み物としては全く扱っていないなあ、と。
そのミステリー小説への愛は未だに薄れていませんし、普段読む用がボロボロになったらその都度買い換えてきました。でもこの愛蔵版はそうもいかないわけで……。だからこそ愛蔵版なわけですが。
いやはや、年月が経つことによる価値観の変化というのは面白いですね。当時だったら手放すなんてこと、絶対考えなかったでしょうから。しばらくは目の届かないところに保存しておいて、ある一定の時期が来た時の自分の心持ちで判断しようと思っています。

小説で英語学習

大好きなファンタジー小説の原文を、その朗読CDを聞きながら読み上げるといったことを始めて、結構経ちます。邦訳版のおかげで訳文が大体頭に入っているのと、好きなものと関連づけてなら長続きするかと思って始めたことでしたが、案外毎日欠かさず出来ています。
映画やニュースなども、そのまま聞いて理解できる……ところまではいっていませんが、「全てひとかたまりの何か」として聞こえていたのが、どこで単語が区切れたのかくらいまでならすぐに分かるようになりました。街頭インタビューなどなら、なかなかの精度でヒアリング出来ています。
思えば私は、学生時代から英語が大の苦手でした。日本を訪れる外国人が英語で話しかけてくる(個人的経験の範囲内でのことですが)ことについても、郷に入っては郷に従え、と思っていたようなヒネた子供でした。けれどこうして、昔よりはるかに頭がかたくなってしまった頃になって学びたくなるとは因果なものですね。すり足で進んでいるかのような遅遅とした歩みですが、少しずつ少しずつ成長できているのがわかって、今とてもうれしいです。
そしていつかは行きたい海外旅行。行き先はもちろんそのファンタジー小説の原作者が生まれた国。情景描写がそのままだという評論をどこかで読んだので、本当にそうなのか、いつかこの目で確かめてみたいです。

やたら眠い日々

近頃、寝ても疲れが取れない日々が続きました。ちょうど午前の家事を終えた頃にやってくる眠気と、日々熾烈な(笑)争いを繰り広げていました。お昼ご飯の後におやつを食べながら小説を読むのが楽しみだったのですが、途中で眠気に負けてしまうことも多かったです。
実生活にも良くない影響が出始めたため、とにかく早めに就寝するようにしました。就寝前にも小説を読むのが好きだったのですが、自粛しました。それを2週間ほど続けた頃でしょうか、少しずつ1日の総計睡眠時間が短くなっていってほっとしました。少し気を抜くとまたすぐ戻ってしまうのですが。睡眠外来を受診しようかと本気で考え始めていたので、方策が見つかって良かったです。
原因は、まあ加齢による体質の変化と、ストレスかなあと。思えば、やたらと眠くなる日々が始まる直前に色々ありました。主に人間関係でのストレスが。そういえば、とある小説家の方が「ストレスが掛かった時は12時間くらい寝る。するとスッキリする」とおっしゃってました。無意識のうちに身体がそれを実行しようとしてたのかもしれません。
更に年齢が進めば、今度はやたらと早起きしたりするようになるのでしょうか。今はまだそんな生活スタイルになるだなんて想像もつかないだけに、怖くもあり楽しみでもあります。

処分しようとしていた本を読んだら

蔵書が溜まってくると視覚的にうるさいので、定期的に書棚の整理をすることにしています。新しいものを買ったら別なものを手放す、決してギチギチには詰めない(戻しにくくなるので)、床に平積みにしない、という3つのルールを守っています。いつまで守れるかはちょっと自信がありませんが……。
この間も、そのようにして整理をしていました。その結果、手放し候補になったのが某童話でした。1つの教訓としてまとめてしまうなら、幸せはいつでも自分のそばにある……といった内容になると思います。とても有名なものですし、図書館から消えることもまずないだろう、と考えました。
とりあえず、処分する前に一読しておこうと思い、さほど長くもないそれを1行1行じっくりと読んでいくと、とある思い出が脳裏に蘇りました。それはもう○○年前、家族で市民ホールのこの童話が元の演劇を観に行った時のものでした。
どうして忘れていられたんだろうと不思議に思うくらい、ありありと思い出せました。その本はその帰りに物販コーナーで両親に買ってもらったものだったんです。結局手放せず、別の小説を処分しました。
普段は忘れていても、モノをきっかけに思い出すことってありますね。また大切にしていこうと思います。