読書をすると色々な気持ちになることが出来ます。楽しい物語を読めば楽しく、悲しい物語なら悲しく、となんだか単純な人間のように思われてしまいそうですが、それだけ感情移入ができるのは自分がしっかりと読書できているからだと思っています。
この間は家族を題材にした本を読みました。家族愛に溢れたその物語は私に郷里愛を覚えさせ、読み終わった後は何となく母の声が聴きたくなりつい電話を掛けてしまいました。電話先で母はとても喜んでくれ、今度帰省することになりました。後々考えると最近実家に帰れてなかったので、丁度いいと思いました。
また、ほかにも甘いラブストーリーを読んだ後には恋愛がしたくなり、ちょっと気になる会社の人にささやかなアピールをしてみたりと、本当に小説に左右されている自分が面白くなります。読書が好きな人は結構そんなことを思う人が多いと知ったのはつい最近で、あまり読書の趣味が合わない同僚から言われたからでした。驚いてついついはしゃいでしまいましたが、そのおかげで苦手意識を持っていた同僚と打ち解けることもできました。読書をしていて持ってはいけない感情なんてないんだと実感しました。これからはこの感情をしっかりと利用して、気分が落ち込んだ時は楽しい物語を読むようにしてみます。
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推理小説の楽しみ方
推理小説を読んでいると、たまに人から「読んでいて頭が疲れない?」と聞かれることがあります。人によって推理小説を苦手とする人が居るようで、その理由を聞くと「トリックなどを理解するのが難しい」と言うのです。
テレビドラマなどで推理物が放映されていても、映像であればそのトリックもわかりやすく、ストーリーの方へ集中することができます。しかし小説になれば、文章を追って行き、自分の中でキーワードをピースにして組み立てていかなければなりません。また、それにトリックが加わればそのピースを今度は歯車のようにうまく組み合わせる必要があります。いくら文章の中でつらつらとトリックを語られても。こちらが理解しなければ同じことですよね。しかし、それを組み立てる楽しみというのが推理小説の面白さだと思っています。何気ない登場人物の一言や、主人公の推理と共に自分なりの答えを出してみるというのもいいですね。
さらに時折「推理小説は読み終わったらもう犯人もトリックもわかってるから読めないんじゃない?」と言われることもありますが、私は犯人もトリックもわかった後にまた読み返しては冒頭からどんなヒントが隠されているのだろうとまるで答え合わせをするような気分で呼んでいきます。人それぞれの楽しみ方がありますが、推理小説が苦手な人はぜひチャレンジしてほしいです。
デートで行く場所に迷ったら?
私が学生の頃にはまだまだ稀なケースでしたが、最近はネットで知り合った人と友達になったり恋人になったりという事が増えましたよね。特に、婚活サイトなんかを利用したりすると、初めましてがイコールデートになるわけですから、なかなか緊張しますよね。さて、デートに行くにもどこへ行こう?と悩むこともあります。行きたいところがない場合ももちろんですが、どこに行けばいいか皆目見当もつかないなんていう人も多いのでは?特に文学好き、本好きは恋愛に無頓着な人も多くて、どこへ行くのがふさわしいのかすらわからない!なんていう純情な人も。
そういう方は、自分の好きな作品に登場した場所を巡ってみるのはいかがでしょうか?昔から、実在する場所を題材にしてたくさんの物語が紡がれています。相手も本が好きな人なら、ここはこの作品に出てきて、なんていう話で盛り上がると思いますよ。相手が普段本を読まない人なら、ここはこういう作品に出てきた場所で、一度訪れてみたかったんですよ~と話せば興味を持ってもらえるかもしれません。本を貸してあげれば、確実に返すときにもう一度会えるので、良い作戦だと思います。とはいえ、恋愛系の作品を選ぶようにしてくださいね。間違ってミステリー系を選ぶと、「ここで○○が殺されて…」なんていう物騒な話題になってしまいますからね。
流行は流れてこそ!
時々、深夜アニメを見ます。ぼーっとテレビを見ていると始まるので、そのまま見ているだけなんですけどね(笑)でも、時代を感じるようになりました。ライトノベルとかもそうなんですが、わたしがはまっていた全盛期の頃って、世界観も何もかもそっくりそのままファンタジーなものが多かったんですよね。魔法が使える世界だったり、ロボットで戦争をしていたり・・・。でも、最近の作品って、今私たちが生きている世界をベースに、そこにファンタジー要素を足したものが多いと思うんです。やっぱり、流行廃りがあるんですね。当時はまっていたライトノベルなんて、主人公は最初から天才魔法使い!みたいなやつでしたけど、最近は主人公はどっちかというとヘタレといわれるような落ちこぼれ系が多いようですし・・・。友達と話していても、あの頃は~なんて話になってしまうので、年をとったよね、とどちらかがつぶやいて終わります。でも、そんなことを言い出したら私たちの親の世代には小説の主人公と言えば学生運動の中心人物で~とか、実在しそうな人をモチーフにしたものが多かったんじゃないかと思います。私たちが読むと逆に新鮮だったりするんですよね、意外と。そう考えると、いろいろな変遷を経ていても、時代を超えて楽しむことができるってなんかいいですよね。100年後、私たちがはまっていたファンタジーもそういう扱いになるのかなあ(笑)
本の影響のタイミングの良さ
友人には恋人がいました。友人に言わせると、「とても優しくて、アクティブな人で、いつも朝早く起きては一日に予定をいっぱい詰め込んで、夜になったらしっかり疲れてぐっすり眠ってしまう、じっとしていられない人」との事でした。私もたまに一緒に夕食を食べたりしていたので、彼の人柄はなんとなくはわかります。
先日友人から泣きながら電話がかかってきたので、何かな?と思って驚きました。すると「彼と別れた」と言うのです。ものすごくびっくりしました。
「どうして別れたの」と言うと、大泣きしている割には彼女から別れたというのです。どうやら、彼女の中で彼の存在が大きくなりすぎてしまって、いつも色んな所を駆け回っている彼を愛しているのに、側に居たいが為に押さえつけてしまうような形になるのが怖かったのだそうです。
「そんな、まだ起こってもいない未来への恐怖で別れたの」と言うと、最近読んだ本で恋愛のハウツー本を読んだそうで、そこに書いてあった内容が彼女の腑に落ちたようなのです。
ハウツー本を参考にして大好きな彼を手放してしまうなんて驚きましたが、ずっと悩んでいた事に対して府に落ちたのだから仕方ありませんよね。私から言える事が何もなくなってしまいました。
「でも私にとっても彼にとってもいい結果になる事は確か」だと彼女は確信しているようなので、彼はちょっと可哀想ですが、悩んでいた彼女が前向きになったようで良かったです。
文庫の帯、眼福です
私はいくつかの古本屋さんのサイトをお気に入り登録しています。先日その中のひとつで「文庫が揃いました」と写真をアップロードしてくれていました。何の文庫かは写真が小さくわからなかったのですが、帯付きでずらりと並ぶ、何十冊。画面上とはいえ、とても壮観でした。学生時代は帯つきや初版本にこだわったものでした。それは友人も同じで、何十年も前の本を古本で買い求める際にも、初版にこだわって、高価なものを探していましたっけ。しかもそれを読むときは、綿の白手袋を着用です。しかしいつの間にやら二人ともそんな時代は過ぎ去り、今は欲しいものを欲しいときに買って、素手で読む生活が日常化しています。気安くなったということですね。発売日に書店に走ることもなくなりました。でもそのせいで、本棚がさみしいのは事実です。昔は帯付きでずらっと揃っていたのになあと、今懐かしい本棚を思い出しています。社会に出ると自分でお金を稼ぐ分、本を買う余裕はできますが、毎日書店に通う時間も、じっくり読書をする時間もとることが難しくて残念です。作家買いもしなくなりました。でも、ああもきれいに揃った写真を見ると、帯ってやっぱりいいものですね。眼福でした。
映画館の待ち時間は小説で
映画館の待ち時間は小説を読むことにしています。最近映画や小説といった人が作ったものにとても興味があり、良く見ています。しかし、時には映画の公開時間が合わないこともあると思います。そういったときに強い味方になってくれるのが小説です。小説はコンパクトなので良く街に行く時などは携帯しています。時間に余裕ができればそれを読み、時間を潰すことが出来ますからね。
特に映画などは人気作品になると満席になっていることがあり、次のチケットの時間は一時間後や二時間後ということもあります。そういったときに友達と「どうするか」となることも避けられますし、映画を見る前に疲れてしまわないということも良いです。座って映画まで小説を読んでいるというのも楽しく、最近は小説好きな友人と良く映画を見に行っています。
また、小説が映画化されることも多くて、その小説を先に読んでおいて映画を楽しむというのも良いと思います。文章で構成された小説の世界を自分が想像して、それが映像になって飛び出してくるというのはとても刺激的で面白いことです。これに一度はまってしまったらもう二度と抜けられなくなりそうです。もちろん良い意味で映画も小説も中毒性が高いですね。
小説と歌の共通点
私は良く小説を読んでいるのですが、昔から歌を歌うのが好きなので歌をつくったりもしています。その時に良いのがやはり音楽と小説の共通点に気付いてしまったことですね。当然ですが歌には歌詞というのがあります。その歌詞は小説のようなものなのです。
例えば曲を作るときにテーマやコンセプトを設定すると思います。そのときにファンタジーをテーマにした曲を作ろうとするのであれば、歌詞もおのずとそういった歌詞になってくると思います。小説もそうで、ファンタジー小説を書こうと思ったときにはジャンルを設定してから文章を書いていくと思います。音楽と小説は一見違うもののように思えますが、実は共通点も多いのです。
同じく言葉によって人を感動させることができるし、勇気づけることもできます。時には生きていることを説いたり、悲しみを表現したりすることもできて、小説と音楽の両方を楽しめている私は素晴らしいなと思っています。これからは音楽をしながら小説を楽しむということをメインの趣味としていこうと思います。
音楽で小説をより楽しむ
音楽を聴きながら小説を読むのって楽しいですよね。例えば私の場合はその小説のジャンルに合わせて音楽を聞くことをしています。恋愛小説を読んでいるときは恋愛ソングをかけながら小説を読むことにしています。その方が心に響くメッセージも大きくなると感じています。ほかにもサスペンスの時は洋楽で雰囲気を出してみたり、日常系の小説を読んだりするときは自然音をBGMにしていることもあります。音楽は小説の世界を格段に広げてくれるのです。
最近はホラー小説にはまっていて、良くホラーっぽい音楽を聴きながら小説を読むことがあります。それは見事に効果覿面で、読みながらふるえて来たり変な汗が出てきたりすることがあります。もちろんそこまで身体を追い込まなくてもよいのですが、それほど雰囲気がでているときの方が小説を楽しめている自分がいるのです。
小説を読むのにもう少し充実させた時間にしたいという方は、音楽を聴きながら読むことをお勧めします。まったく無音の状態で小説を読むと逆に集中できないこともあるので、少し耳に入る程度の音量でも良いと思います。小説を読むことにマンネリ化している方は一度試してみると良いと思います。きっと新しい小説の世界が開けてくると思います。
漠然とした孤独への対処法
今日初めて、インターネットで映画のチケットを予約しました。便利な世の中になったものです。先日、会社の同僚と話したんですよ。「今は銀行振り込みもネットでできるし、仕事だって職種によってはネットさえあればできるし、家から出なくても生きていけるかもね。病院とかだけじゃない?外出しなくちゃいけないの」って。本当にそうかもしれませんね。でもそれだとさみしいでしょうね。人は、孤独に耐えられない生き物だと聞きます。昔、無音で、ベッドしかない個室でずっと横になっていた場合、人はどうなるのかという実験があったそうです。それによると何日後かは忘れてしまったけれど、人は正気を失うらしいですね。まったくの独りに、人は耐えられない。そういうことでしょう。確かに一人きり部屋で本を読んでいても、車の走る音や井戸端会議の声が聞こえます。そう考えると、私たちは一人でいても独りじゃないのかもしれません。ときどき、ふとさみしくなることがあります。自分は独りだと、漠然とした不安に襲われるそんなとき、今日気づいたことを思い出せればと思います。生活音の聞こえる部屋の周りには誰かがいて、パソコンを立ち上げれば遠方の友人と繋がることができるということ。自分は不幸じゃないと、なんとなく思いました。