かつて好きだったもの

昔、とても好きだった小説家さんがいました。その人は今でも愛好家の多い大ヒット作を生み出し、私もいわゆる「信者」となって応援していました。もう完全に過去形になってしまっていますが。関連本はほとんどを買い集め、少数にしか行き渡らなかった限定版はオークションを駆使して大枚をはたき、ほんの少しの差分に狂喜乱舞し……と、今思うと本当に熱狂的な時期でした。
転機が訪れたのはついこの間のことです。あの大ヒット作と世界観を共有した続編が発売されるとのことで、それはそれは浮かれていました。非常に特徴的な文体と、いわゆる「鬱」な方向に話を持っていきがちな作家さんだったので、かつてほどのヒットが見込めるかどうかはファンのコミュニティでも意見が分かれていました。
で、蓋を開けてみたら、まあ、もう、何というか、ひどかったです。面白い面白くない以前に、文章がまったく練れていないんです。句読点が多く、読みづらく、そしてとにかく難解な言い回しをすることに執心していらっしゃるようで、ストーリーを追う前に心が折れてしまいました。
その作家さんはSNSをやっていらっしゃったのですが、批判が段々と強まるにつれて、かなり激しい言葉で応酬されるようになってしまいました。こんな形で思い出が崩壊すると、少し、切ないですね。

売ったはずの小説

売ったはずの本を惜しく思い、新たに買い直したところ、後日発掘された古いダンボールから、その売ったはずの小説が出てきてしまいました。さすがにちょっと落ち込みました。しまったまま忘れていたんだなあと……。なくして初めてその価値に気付いたはずだったのに……。
まあそんなこともありますよね。とりあえず古い方はさくっと某チェーン古書店に売り払いました。長いこと埃臭い場所に詰められていたせいで、だいぶ傷んでいたのですが、某チェーン古書店の査定に出すと、1冊1円で売れました。ここは状態のよくないものでも結構買い取ってくれるので好きです。書見がてらちまちまと持ち込んでいます。しかし、「買い取れません」「では処分でお願いします」とやりとりしたはずのものが普通に売り場に並んでいるのを目にした時は……ちょっとツッコミたくなりました(笑)。
それにしても、人間の記憶というものはあやふやなものですね。単に私の頭がアレというだけかもしれませんが。自分でしまったことを忘れて、売ってしまったと思い込むだなんて……。これを期に、管理できない量の本についてはちょっと処遇を考えたほうがよいかもしれませんね。手間と時間と思い入れを考えると、なかなかできないことではあるのですが。

おそばとお茶漬け

某大都市に出張してきたという友人が、私の大好物のお麩饅頭の他に、ひつまぶしの素を買ってきてくれました。レトルトパウチになっているうなぎをご飯に乗せ、ふりかけを掛けて、お湯を注いだら出来上がりという簡単仕様。ほんのりわさびが効いた風味が大好きです。ずるずるはふはふ、某お茶漬けのCMのように食べると、よりおいしさが増すような気がしています。
我が家の地方でもひつまぶしを食べられることは食べられるんですが、そうそう気軽に食べられるお値段ではないのです。まあそんなわけで、いち小市民には色んな意味でちょうどよい感じです。
ずるずるはふはふと言えば、日本を訪れた外国人が驚く習慣として、麺類を音を立てて啜る、というものがありますね。夕方のニュース番組などを夕食づくりの合間に見ていると、旅の恥はかきすてとばかりにノリノリでやってみる人、とても恥ずかしそうに控えめな音を立てて啜る人、色んな反応を見られる機会があって面白いです。
音を立てることによって空気を共に吸い込むことになり、香りの良いものはより香りを楽しむことが出来る……という話を聞いたことがあります。確か時代小説だったと思うのですが。夜鳴きそばの食べ方だったかな?お茶漬けにも適用されうる話ですよね。

小説で英語学習

大好きなファンタジー小説の原文を、その朗読CDを聞きながら読み上げるといったことを始めて、結構経ちます。邦訳版のおかげで訳文が大体頭に入っているのと、好きなものと関連づけてなら長続きするかと思って始めたことでしたが、案外毎日欠かさず出来ています。
映画やニュースなども、そのまま聞いて理解できる……ところまではいっていませんが、「全てひとかたまりの何か」として聞こえていたのが、どこで単語が区切れたのかくらいまでならすぐに分かるようになりました。街頭インタビューなどなら、なかなかの精度でヒアリング出来ています。
思えば私は、学生時代から英語が大の苦手でした。日本を訪れる外国人が英語で話しかけてくる(個人的経験の範囲内でのことですが)ことについても、郷に入っては郷に従え、と思っていたようなヒネた子供でした。けれどこうして、昔よりはるかに頭がかたくなってしまった頃になって学びたくなるとは因果なものですね。すり足で進んでいるかのような遅遅とした歩みですが、少しずつ少しずつ成長できているのがわかって、今とてもうれしいです。
そしていつかは行きたい海外旅行。行き先はもちろんそのファンタジー小説の原作者が生まれた国。情景描写がそのままだという評論をどこかで読んだので、本当にそうなのか、いつかこの目で確かめてみたいです。

長い小説ほど読み終わるのが寂しい

長い小説を読み終わると充実感に溢れますが、その一方で寂しさを感じます。「もう終わってしまうのか」という気持ちになり、「まだ終わらないで!」と思います。漫画とかドラマにも同じことがいえますよね。長く続いているものが終わる時は悲しくなります。ただ、同時にさっきも言ったように充実感や頑張って全部みたという達成感が生まれます。ただ、長い小説の場合はもう一度読むことも多いです。時間がなくて慌てて読んだ作品だと頭に入っていないことがあります。大まかな内容は分かっていても、細かなところは分からないケースがたまにあります。たとえば、主人公の名前は覚えているけど脇役の名前が思い出せないとか。そういった作品は2度読みするようにしています。ただ、2度読みしている時に面白そうな作品を見つけてしまうとどっちにしようか迷ってしまいます。順番的には2度読みの方を優先しないといけませんが、ついつい新しい作品を選んでしまうことも少なくないです。
この間、かなり長い小説を古本屋で購入しました。内容も難しくて、しばらくはこの作品を読むので手一杯になりそうです。分厚いから通勤中には読めないので、家で読むしかありません。カバンの中に入れたらパンパンになってしまいます。

落丁本は面白い

本には読む人によって楽しみ方が違うと言います。私はもちろん一番の楽しみは本の内容ですが、そのほかにもたくさんの楽しみがあります。最近の本ではあまり見ませんが、乱丁や誤字脱字を見つけるのも楽しかったりします。売り物としてはいけないとは知っているのですが、あまりないと分かっているぶんなんとなく珍しいものとして見てしまいます。特に昔に発行された書籍だと、落丁や乱丁などの方がプレミアがついている場合もあります。
インターネットで検索をしてみると、意外とそんな本を紹介している人がたくさんいます。ページが裁断されてなくて袋とじ状態になっていたり、ページが一部抜けていたり真っ白になっていたりと見ていて楽しいと思います。また、それも自分が知っている作品だとなんだか嬉しい気分になるので不思議ですよね。
また、実際に落丁本を持っている人に実物を見せてもらったこともあります。触ってみるとさらに感動が増す気がします。本自体がとても好きという人にはわかってもらえる事項なので、同じ趣味の人には盛り上がる話題だと思います。実際に何人かにはこの話題だけでしばらく話したこともあり、私以外にも好きだと思ってくれる人がいて嬉しかったです。

電車の中で読む本を選ぶ

電車を利用してどこかへ出かけるのって楽しいですよね。車道からは行く事の出来ない道を通ることができ、自分で運転することもないので、じっくりと堪能できます。初めて通る線路であればわくわくして外を見ますが、何度か通ったことのあるルートなら音楽プレーヤーや本を持ちこむこともあります。長距離の移動をするときは、駅の売店に並んでいる本を買ったりします。
売店に並んでいるものは、有名な小説や、自己啓発本、駅のある土地にゆかりのある伝記などさまざまです。駅には大抵おみやげやお弁当などを買いに行くために行っていましたが、レジの隣や端っこのほうにこっそり本があったりします。それを探すのもなんだか宝探しのようで楽しいものです。最初は偶然発見したのですが、それからは行ったことのあるところでも、ないところでも探すようになりました。一番読んでみたいのはやっぱりその土地ならではの伝記です。実際に行ったことのある場所でも新しい発見をすることができますし、今度はその地で降りて探索をしてみたいと思います。どんなことでも新しい見方をすることができるのはいつになってもドキドキしますよね。できるなら友だちとも一緒に行ってみたいです。

不朽の名作で読書仲間を作る?

「不朽の名作」という言葉がありますが、「不朽」という言葉の意味を調べてみると、「朽ちることは無い、末永くなくならないこと」とあります。末永くなくならない作品というのは本当に長く人の目に触れ、心にとどまっているのだと思います。図書館に行ったり、本屋さんへ行ったときに必ず目にするものってありますよね?近代文学だったら夏目漱石や芥川龍之介など学生時代にも聞いたことのある名前です。
私の友人にあまり頻繁に読書をしない人が居ますが、その友人と先日買い物に行ってきました。買い物は主に服やアクセサリーを見ていたのですが、途中で寄ったショッピングモールに大きな本屋さんが入っているのを発見しました。店頭を通った時に丁度文学フェアをやっており、さまざまな作家の名前が並んでいました。それを友人と一緒に見ていると、友人の方から作家の名前や作品名を口にされ、私のほうがびっくりしてしまいました。
「読んだことあるの?」と聞けば「ないけど、聞いたことはある」と答えられさらにびっくりしました。その時に、不朽の名作というのはこういうことを言うのだろうなと実感しました。大抵は読んだことがあったのであらすじを話すと興味を持ったのか、今度読んでみると言ってくれました。新しい読書友達ができそうで嬉しいです。

本屋さんでもらうブックカバー

本屋さんで小説を購入したときに「カバーをお付けしますか?」と聞かれることは多々あります。その時に私はちょっと悩んでしまいます。付けてもらっても、表紙を見せて本棚に並べたいので家に帰ったらそのまま捨ててしまうことが多いし、必要になれば、自分で買い集めた布やレザーでできたブックカバーを付けます。「だったら最初からいらないって言えばいいじゃないか」と言われるかもしれませんが、考えてみると、小説や文庫を買った時だけその本屋さんでしかもらえないという限定感を考えると欲しくなってしまうのも正直なところです。また、袋だとかさばるときにもブックカバーだけにしてもらうと持ち運びやすくなります。
そう言ったことを考えて付けてもらうと、帰宅してから外してそのまま捨ててしまいます。少しもったいない気もしますが、やはり表紙を向けていたいのでそうしています。なんとなくインターネットで調べてみると、私と同じ考えをしている人は結構いるようで、もらわないという人や、家に帰るまでの包装にする、や、そのまま日焼け防止に使うなどの意見がある中、折り紙のようにしてごみ入れなどに使うなどの話もあり、なんだか感心してしまいました。しかしこれからも悩むかもしれませんね。

本が繋いだ人との絆

学生時代、私はお昼休みなるといつも図書室にいました。本が好きだった、ということももちろんですが、図書室に居る司書さんとお話をするのがとても楽しかったのです。図書室に行くといつも歓迎してくれた司書さんとは色々な話をしました。最近読んだ本や好きな作家の話、図書室に入れてほしい本の話など様々です。たまに司書さんが「こんな本を入れてみたよ」とおすすめしてくれることもありました。ほぼ毎日話しているので、進めてくれる本はいつも私の好みに合うものばかりでした。読み終えたら返却すると同時にその感想をずっと話します。今から考えてみれば、司書さんの仕事を邪魔していたのかな?を思ったりもしますが、楽しそうに聞いてくれていたので、私も嬉しかったのを覚えています。
私が卒業するときに、司書さんと連絡先を交換しました。現在では年賀状の交換やちょっとした文通くらいでしか交流ができていませんが、そんな時でも会話の内容は、「こんな本を読みました」や、「この本が気になっています」といったものばかりです。学生時代は生徒と先生の関係でしたが、今では仲良しの友達のように思い合っています。いつか会うことができたら一緒に本屋さんに行きたいと思っています。