小説を束縛したいのか

久しぶりに読み返した小説がありました。その小説は好きで好きで以前はよく読み返していました。一時期は一言一句間違えずに空で話せていたくらいです。冒頭部分は特に好きでとてもよく読んでいましたね。冒頭部分の言葉が私の好みにぴったりとハマったのです。それまでわからなかったことが鮮明になったというような、そんな気持ちでした。それなので、読んだその場だけではなくずっと心に残っていたのですよね。心に残って、ずっとその小説が支えでした。その頃読み出していた小説や雑誌が、私の気持ちを代弁してくれているような気持ちになっていたのです。だからその小説を好きだと言い続けました。人に貸して、と言われても貸さないくらいに大切にしていました。ずっと手元に置いておきたかったのです。前ほどその小説を読むことはなくなり、今では少し読む程度です。他の小説も大切にしていますが、その小説は特別、といった感じですね。もっと余裕があれば本屋で買って様々な人に配って回りたいくらいです。あくまで自分の手元にはその小説を置いておきたい。小説を読んで世界が変わるということがあるんだな…と思ったものです。そんな小説を久しぶりに読んだものですから、涙が止まりませんでした。そして、ラストになって涙が止まりました。小説を読むことで泣いて、小説を読むことで泣き止んで、なんだか気持ちがスッキリした読書でした。

言わない、言えない

ある小説を読んで、ヒロインと私の悩みが同じだったことがありました。ポロリとヒロインがその悩みを主人公に打ち明け、ごまかすという場面があったのです。その時主人公は「それが君の魅力なんだ」と感じるのですが、ヒロインが悩みをごまかしたためにそれにのるのですよね。そして会話は日常会話に戻ります。この場面が非常に私は切なかったです。ヒロインの悩みが私と同じ、というのもおこがましいかもしれません。しかし考えていたことがちょうど小説の文章になって現れたような感覚でした。だから主人公にはヒロインがごまかしても本音の部分を言ってほしかったものです。しかし、私自身はその主人公の「それが君の魅力なんだ」という本音をわかっている。不思議な感覚でした。どうしてこんな風に共感してしまったのかはわかりません。ヒロインと私では立場も境遇も違います。しかし悩みは同じだと思ってしまいました。そして主人公がそれを気にしていないことを伝えなかったのを悲しく思ってしまう。それが小説における主人公の優しさでした。何度もその場面を読み返すうち、私はなんだかホッとした気持ちになっていきました。悲しい小説ではあったものの、主人公と同じようなことを私の周囲も思っていてくれたらいいな、と思ったのです。そう思えたのは、小説のおかげでした。

休憩に読書をしてストイックな暮らしを

読書と言うよりもはや字や文章といった感じですが、本当に一息つくには読書が一番です。ふっとした瞬間に疲れた、と思うことは少なくありません。つまり、けっこう多くそういったことがあります。そしてさらに言うならそういう時、休憩した方が物事はうまく丁寧に進むのですよね。私の意見ですが、休憩ってとても大切です。そうして一息つきたいときがありました。それが普段ならタバコの一本でも吸って休憩終わり、とするのですが、その時私は少々のどを痛めていました。これも私の個人的な意見なのですが、のどを痛めているときにタバコを吸いたくないのですよね。どうするかなぁと思ったところ、目に入ったのは小説でした。手に取ってぱらぱらとページを開き、数ページ読むと少し頭がすっきりしました。不思議でした。普通なら疲れて読むと疲れているよ、とよく聞くからです。しかしそれもやはり人によるのだな、ということがわかりました。人によって本当に疲れる人は小説を呼んだら疲れますし、私みたいに読みあさっている人には読書はかえって癒しになる。そういったことをしみじみ感じましたね。今後もこれは続けていきたいなぁと思います。さらっとこうして休憩して、休憩が終わったらやることをやる。そんな生活が好きです。

穏やかな時間とほのぼのとした小説を読んで

ほのぼのとした小説がありました。私はそれを表紙があまりに可愛らしくて手にとったのですが、本当に内容もほのぼのとしていてよかったです。ミステリーだったのですが、主人公がマイペースで、コンビを組んでいる相手もしっかりしていそうで時折マイペース。独特のテンポがふたりの間にはあって二人にとってはそれが普通の生活。だから、迷わないし笑って物事を流していける。泣けるというより、そうだよな、これだけ気を抜いていても許されるよなぁというほっこりした気持ちになります。気が抜けているというか、肩の力を抜いて生活してもいいんだよという優しいメッセージに聞こえるのですよね。ほのぼのとした小説を書くのが好きなんです、とその作家さんはインタビューで仰っていました。そこまでシリアスな話は書けない、とも言っていたでしょうか。確かにシリアスよりのんびりしたほのぼのとしたお話の方がその方の文章は映えます。だからこそあたたかい気持ちにもなるのでしょうね。作家さん本人の人柄はわかりませんが、作風はわかります。その作風の温かさに触れた時、心が温かくなる。そんなことが、とてもうれしいです。穏やかな時間を過ごしながら、もっとたくさんのこういった本を読んでいきたいです。

ぼうっとしながら好きな本を

好きな、自分の改革にもなった小説は本当に宝物です。先日、お酒を飲みながらぼーっとその小説を読んでいました。この小説に出会ったのは高校生の頃でしたが、その時のことがありありと思い出されて切ない気持ちになりました。高校生といえば、私は一番大変だったなあ、と今になって思います。心の頼りはこの小説で、何度読み返したかわからないのにとても綺麗に保管しています。何度も何度も、私はその小説を読んだのです。文章のひとつも読み逃したくありませんでした。そんな時を、私はこの小説と過ごしていたんだな、と思うとなんだか感慨深かったです。あの頃から大学に通ったり、就職もしたり、辞めたり、アルバイトをしたり、挫折も成功も経験しました。大人になってから読むその小説は、これを頼りにしていた高校生の頃と違う感覚を受けましたね。今が一番いいと常に思うようにしている私ですが、あの頃から少しは成長出来たかな…なんて思いの外浸ってしまいました。これが好きな小説の威力というものなのでしょうか。さみしいような、うれしいような、そんな気持ちでした。同時にここまでのめり込んだ小説も珍しいな…と思ったのです。というより、その小説が一番私の人生で重要な小説だったのかもしれません。なににしろ、生涯読み返し続ける小説だなと感じます。時折でも一番大変だった頃を思い出して、こうして今の幸せを感じていたいからです。

気づけばこんなに経っていた

先日、近所の県立図書館に本を返却に行ったところ、動物のパペットをたくさんつけた男子学生たちに遭遇しました。近所の教育学部がある大学があるので、きっとそこの学生さんなんだと思います。私が子どものころ、この図書館の子ども図書室やレクレーションルームに通っていたときに、よくそこの大学の学生さんが、読み聞かせや紙芝居をやってくれたことを思い出しました。子ども用のものがたくさんそろっている図書館って、お母さんたちにもありがたいですよね。紙芝居は一人一冊までしか借りることが出来なかったので、厳選した一冊を、貸出期限の間何回も家で楽しんでいた思い出があります。今でもまだ一冊制限なのかな…とか、色々な想いを馳せました。月日が流れるのはとても早いですね。ついこの間まで(といってしまうのは、さすがに言い過ぎかもしれませんが)、私はあの大学生たちに、読み聞かせをしてもらう立場でいたような気がするのに、ふと気づけば、それらを懐かしい気持ちで眺める立場になっているのです。あのころは「大人の人が読む難しい本が並んでいるエリア」にも、読みたい本を求めて入っていくことが出来るし、「大人だとひょいひょい使えるパソコン」と思っていた検索機も、使いこなせるようになっているのですから。

お姉さんと私

一回りほど年齢が離れた、親戚のお姉さんがいます。お互い、他に年の近い親戚がいなかったのもあって、子どものころから仲良くしていました。一回りが「年が近い」とは言えないという人もいるので、私の方が一方的に懐いているように見える感は否めませんが…。それでも、本当に子どもだったころと比べれば、少しずつ共有出来る話題や感覚も増えて来ているので、偶に会って食事をしたり、買い物をしたり、おしゃべりをしたりするのはとても楽しいです。お互いに、好きなものも似ているんですよね。好きな作家や、音楽のジャンルや、甘いケーキなど。お姉さんの方が、海の近くに住んでいるので、二人でポットにお茶をいれて、海辺でゆったり読書をしたこともあります(長続きはしませんでした。潮風がキツいし、落ち着いていられなかったのです。二人の憧れが似ていたというだけで、突きつけられた現実は想像とは違ってしまっていました。割とショックでしたが)。お互いにメールや電話はあまりマメな方ではないのですが、それでも、SNSツールでたまに交流したりします。便利でいいですね。こういう付き合いがひとつあると、毎日が楽しく、ふと疲れた日にも息抜きが出来ていいなと思っています。

朝までありがとう本屋さん

私が今住んでいる家の近所に、朝までやっている本屋さんがあります。朝の5時とか、早い日で4時とか。以前住んでいた地方は、夜の10時くらいには絶対に本屋さんが閉まってしまっていたので、とても嬉しかったです。終電で帰宅するときも、帰り道に本屋さんの明かりがついていると、ついつい立ち寄ってしまうんです。一刻も早く自宅に返って、ごはんを食べてお風呂に入って、眠ってしまいたいような、そんな疲れきった日でも、本屋さんにはつい立ち寄ってしまいます。何を買うわけでもなく、本棚を見て回っているだけで、一日でギリギリまですり減った体力ゲージが、ほんの少しだけ回復するような気がするのです。体力というよりは、気力なのかもしれませんね。病は気からと言いますし。本屋さんに立ち寄ること出来ないような、へとへとに疲れ切った日なんかは、そこに開いている本屋さんがあるというだけで救われるときもあります。これは私が本が好きだからだとも思いますが、そういう何か心の支えになるものって、誰しもあるものだろうと思っていますよ。夜中に、ふと「新刊が出ていたんだ!今すぐ読みたい!」と思ったとき、朝までやってくれている本屋さんって、とてもありがたいですしね。

何度も何度も読み返す

一番お気に入りの本って、何度も読み返してしまいます。もう展開も分かっているし、どの辺りでどんな風に場面がかわるかも知っているんです。下手したら、登場人物のセリフだって、ソラで言えてしまう部分があるくらいです。もちろん、全部のページというわけにはいきませんが、ほとんどそれに近い状態のものもあります。それでも何度も読み返してしまうのは、一体どうしてなんでしょう。未だに、手にとってページを開けば、わくわくしてしまうのはなんでなんでしょう。ふと、まだこの本を一度も読んだことがない人のことが羨ましくなることがあります。私はもう知ってしまっている展開を、その人はまったく知らないわけですから、いくらでも楽しむことが出来るんだなと思うんです。悔しい気持ちもあります。自分は既に読んでしまっているというだけなのに、ちょっとおかしな話だとも思うんですが…。「まだこの楽しみを味わえるなんていいな」というやつです。でも反対に、何度も読み込んで、それでもまだ読みたいというこの楽しみは、初めて開く人には決して味わうことが出来ないものですよね。人によって、場合によって、様々な楽しみ方があるのはとても素敵で、楽しいことだと思います。

やるせない最終回

ずっと好きだったシリーズや続きものが終わってしまうと、どんな形であれ、ものすごく寂しい気持ちになります。キレイな形で終わっていたら、「良い作品だったな」と思いつつ、やっぱり未練があって、魂が抜けたような気持ちになってしまうこともあります。不本意ながら、話の終わり方が納得出来るものではなくて、「どうしてこんなことになっちゃったの?」と悲しい気持ちになってしまうこともあります。こんなときもやっぱり、魂が抜けたような気持ちになってしまうんですけどね。作者に感情移入するか、作品の感情移入するかでまた話は変わって来ますが、たまに「どうしてこんなに好きな作品を、こんな形で終わらせてしまうんだ」という気持ちを抱いたりもします。一見憤りのようなのですが、やっぱり悲しみなんですよね。打ち切りという制度も存在してしまっているので、不本意ながらその結末にならざるを得なかった作品というのもあるわけで…。力量不足と言ってしまえばそれまでですが、そんなことばかりでもないですもんね。小説にしろマンガにしろ、運やタイミングも結構ありますから、もちろんそれらを組み込んだものを作って、「うんも実力のうち」と言えればいいのでしょうけれど…。