長かったあの頃

私、ずっと前から思ってたことがあったんですけど、先日、たまたまそれについてのコラムを読んで、ものすごく共感しました。それは、日にちの経ち方なんです。毎日、すごく早く過ぎて行くなぁって思っていて、1日、1週間、1年とあっという間に過ぎて行きます。毎年、新年を迎えたと思っていたら、桜の季節になって、それを楽しんでいたら、一気にセミの声が聞こえて、そうこうしていたら紅葉のお話、そして年賀状発売って聞いてもうすぐ1年が終わるって驚くんです。で、ずっと思ってたことというのは、小学校の6年間ってすごく長かったなってことなんです。中高も6年間だけど、小学校の時と比べたら中高なんてアッと言う間だったと思います。この前読んだコラムに同じように小学校の6年間がすごく長かったって書いてあって、もうなんていうか、そう、そう、そう、そうって何度頷いたことか。そして、色んなことを覚えています。そのコラムにも小学校の時に過ごした夏休みの事が書いてあったんだけど、その何でもない子ども時代の単純な生活なのに、読んでいたらなんだか涙が出そうになりました。どうしてあんなに時計の針がゆっくり動いていたのかな。大人になってしまった今では、時間は驚くほどのスピードで過ぎていきます。ちょっとだけでいいから、時間がゆっくり過ぎていたあの頃に戻ってみたいなって思います。

闇の中の二色

私は空を見るのが好きでよく見ています。というより、つい見てしまうって言う方が正しい表現かも。玄関から出た時、駅に向かって歩いている時、ワンコのお散歩をしている時、どんな時もなんとなく見上げます。そして、その時の空の色や雲の流れに色んな思いを重ねます。
先日、車で家に戻ってきた時、ちょうど町が夕闇に包まれたところでした。荷物を抱えて車から降りた私の目の前に、今まで見たことがないような空が広がっていたんです。その日は一日中雨でようやく上がったところだったから、まだ一面雲で覆われていました。もう闇に包まれてしまってるから、雲も昼間のそれとは違っていつものように白くは見えません。でも、全体が薄いグレーに見えていました。その色もちょっと意外で、日が暮れたばかりでまだ夜が新しいからかな、なんて思っていました。でもグレーの先、ちょうど斜め前方に帯のように見える部分があったんです。濃い青というか、黒に近い青。ぽっかり空が割れているように見えました。なんて幻想的な光景かと立ち止って見てしまいました。でもふと、いつかこれとよく似た物を見たような気がしたんです。初めて見る光景なのになぜだろうと家に入ってからも考えていて……そしたら思い出したんです。本棚にある一冊に小説を。そして、何がっていうと、空と割れている部分の色合いは逆になっているけど、その本の装丁こそ私が見た空に重なるものがあったんです。とても不思議な気持ちになりました。だから、もう一度眺めずにはいられませんでした。その本を持って、今度はベランダから。

ちょうどその気分

普段自分からはその本を買わないけど、たまたま見ちゃったら最後っていうのが、占いや風水です。全く興味がないわけじゃないけど、自分の中の優先順位が高くないから、あえて本までは買おうとは思わないってところです。だからこそ、雑誌などで見かけたら、つい最後まで読んでしまいます。
この前も読んじゃいました、風水の記事。風水では、その年や生まれ月によってラッキーカラーがあるらしいです。その年のラッキーカラーは小物やインテリアに取り入れたらいいとか。その記事に書いてあったラッキーだと言われる生まれ月の色は、あんまり好きな色じゃありませんでした。でも、読んでしまったからには気になります。けど、いつもすぐに忘れるところが私の軽いところなんですけどね。
でも、どうしても気になることが一つあります。それは、お財布の色です。やっぱり、お金が貯まらない色というのは避けたいなって思ってしまいますよね。いつも身につけて持っている物だし、お金は大事です。そうなると、どの色にするかが問題です。その色が今年はラッキーでも来年はどうかわからないんだもの。私はお財布を毎年は買い換えないし。ダメな色だけ避けて、後はもう気分で決めるか……迷うところです。そうそう、レシートを入れっぱなしにしてるのも良くないって聞いたことがあって、それは気をつけてます。
今、たまたま、お財布を買い替えたい気分だから、この前読んだ記事がものすごく気になっています。

電車で座れない日には

電車に乗っている時間は、目的地に着くまで絶対にその場で過ごさなければなりません。だから有効に使いたいなって思います。睡眠不足の人なら寝るのも良し、音楽好きな人は音楽を聞くのも良し。周りに迷惑をかけなければ、そうしていることに罪悪感を感じることもなく、けっこう贅沢な時間とも言えます。私にとっては読書タイムになることが多いんだけど、それは運よく座れたらのお話です。混んでいて座れない時には私は本を読むことを諦めます。時々立って本を読んでる人を見かけますけど、もう尊敬に値します。だって、その人達は何にもつかまらないで読んでいるか、もしくはつり革を持っていながら片手で本を支えているかのどっちかです。どちらにしても、なかなかの技じゃありませんか?ドアのところにもたれながらであれば、まだ可能かもしれませんけど。でも、揺れます。私は以前、立って本を読んでいて揺れた瞬間に前に座っている人の上に倒れ込んだことがあるんです。恥ずかしいやら申し訳ないやら。たまたまいい人だったから怒られることもなかったんだけど、周りの視線が痛かったのなんのって。だから、それ以来、立っている時には本は読まないって決めてるんです。それで、何をしているのかって?電車の中吊りを見てるんです。これ、けっこう面白いです。広告ですから、みんな工夫してますよね。見てもらわないと意味がないんだもの。立体的な飛び出す系の物もあれば、カラフルな遠くからでも見える物や、逆に何の広告だろうとすぐにはわからないように出来ていてそれで気を引くものなど。変わったのを見つけた時には嬉しくなります。もちろん、本の中吊りは大注目ですけどね。本の帯に書いてあることが書いてあったりするから、読みたくなるんですよ、これが。だから電車で立っていた日は本屋さんへの直行率かなり高いです。

図書館のロマン

最近は家で本を読むことが多くて、あんまり図書館で読んだり借りたりということがなくなりました。本もついつい通勤途中やショッピングモールの書店で買ってしまって……。だから増えすぎてしまうんですけどね。でも、図書館ってちょっと異空間で大好きです。学生時代には学校の図書室にもそこにしかない魅力を感じていました。おおよそ新刊からはほど遠いんだけど、読み古された感じも悪くないんです。中には落書きがあったり、誰かにあてたメッセージがあったり。それらを読むのもちょっと楽しみでした。それに学校の図書室って独特の匂いっていうか、それは本の匂いかもいれないけど、懐かしいイメージとして残っています。もし今、どこかでその匂いに出会ったら感動しそうです。
ずいぶん前になるけど、そんな図書館の本からストーリーが始まる映画を観たことがあります。本の間にしおりのようなメモがあって、それを見つけたことが始まりだったかな。詳しくは覚えてないけど、遠い日々への思いと現実の思いとがとても美しく描かかれていたっていう印象が残っているんです。沢山の人が手にした本には、その本のストーリー以上の物語がそこにはあるかもしれません。そう思うと、すごくロマンを感じてしまいます。
久しぶりに図書館にロマンを感じに行ってみようかな。

ネタから始まるストーリー

お笑い芸人の人って、よくテレビに出ている人からあんまりメジャーでない人まですごく沢山いると思うんだけど、その人たちみんながやってる共通のことがあるんです。この前、あるコラムを読んで知ったんですけどね。実は、みんな日々ネタを作っているってことです。もちろんお客さんを笑わすためにです。彼らは笑ってもらわないことにはお話になりません。それによって、活躍できるかできないかが決まるんですから。真剣に取り組まないはずがありません。だから、何よりも最優先で必要だと思うのがネタを書くためのテーブルなんだって。お金がなくても、引っ越しをしても。コラムにはそのハンパない苦労のことも書いてありました。なんだか見方が変わりそうです。次々新しいネタがないと続けていけないお笑いを軽々しく思ってなんかいられません。こっちはただ笑っているだけですけど。
そう考えると納得できる事があります。お笑い芸人さんの中には素晴らしい小説や脚本を書く人がいますよね。今までは、畑違いでも活躍できる才能のある人っているんだなって思っていました。でも、そうじゃないんですね。日々アンテナを張り巡らせて情報を集めて、それから自分なりに考えてお笑いのネタを溜めること、その根本的なところが似ているから小説が書けるんですね、きっと。だから今ではテレビで見ても、尊敬のまなざしを向けながら笑っています。

流れ星に願う

先日、友人と一緒に食事をした帰り道のことです。その日はとってもいいお天気だったので、夕焼けから群青色の空へと刻々と変わっていく様子も雲に遮られることなく眺めることができました。しばらくすると、ひとつ、ふたつと星が見え始めました。その時、彼女が言ったのです。「流れ星にお願いをしたことある?」って。それそれ。流れ星が流れているうちにお願いをしたら叶うっていうお話。ずーっと昔から言われています。けど、私は都市伝説かおとぎ話のように思っていました。だって、いつ見えるかわからないのにお願いするなんて、ほぼ不可能だと思っていたからです。それに、そもそも流れ星自体をほとんど見たことがないんですもの。ずいぶん前になんとか流星群とかっていう流れ星の大群を見たことがあるけど、その時でさえ願い事を言うタイミングが難しかったんですから。そしたら、彼女がこの前読んだ本にその答えがあったって言うんです。いつ流れるかもわからなくて、それもほんの短い時間の流れ星に自分の願い事を言うことが出来るのは、自分の夢をしっかり自覚していて常に夢に向かって努力している人なんだって。いつもそれが心にあるから、すぐに言葉にすることができる。だから叶うんだって。なるほど。すごく明確。私の叶えたいことはなんだろう。彼女も今、自問自答しているそうです。その日私たちは星を見上げながら、今日はまだ流れないでと願ったのです。

短い言葉に心をこめて

先日、ショッピングモールに出かけたら、イベント広場で「絵手紙教室」の作品展示会をしていました。そこには沢山の作品が展示してあり、どれもとても味のあるもので、見ていたらつい微笑んでしまうものばかりでした。花や野菜、動物などの大きな絵に短い言葉だけのとてもシンプルなものです。でも、インパクトがあり、圧倒的な迫力で語りかけて来ます。なかでも私がすごく感心したのは、絵に添えられたとても気の利いた短い言葉でした。ほんの一言なのに、どれほどの文章に表しても表しきれないほどの思いを感じます。ひとつの小説にも匹敵するくらいの物語を感じるのです。
「こんな素敵な絵手紙って私も描いてみたい」って素直に思ってしまいました。そんなわけで、そこで体験してきちゃいました。会場に置いてあるお花や果物をモチーフに絵を描いて色を付けて、言葉を添えます。先生によると、絵は自分の好きなように大きく自由に描いていいんだそうです。絵手紙には失敗と言う言葉はないんだって。とは言っても初チャレンジなんだもの、緊張しました。そしてピタッとくる言葉を選ぶことの難しさと言ったら。これは、経験なのかなぁ。普段から言葉をストックしておくことが必要なのかも。私が何を書いたかは秘密です。けど、初めてにしては上手だって褒めてもらいましたよ。私は褒められて伸びる人ですから!
家に帰ったらどこに飾ろうかなと考えながら歩いていた私の鞄からは、足並みに合わせてカタカタと音が聞こえていました。絵手紙の道具、買ってしまいました、私。

11本の花束

花言葉の本を読んでいると、ホントに色んな意味があって、そこにはストーリーもあってけっこう夢中になってしまいます。私はひまわりが大好きで、ガーベラやコスモスも好きです。もちろん色んな色や表情があるバラも好きです。花束を贈る機会は何かにつけてあると思うんだけど、どんな時もバラの出番は多いですよね。そして色によっても花言葉が全く違っていたりするから驚きです。プレゼントする時に花言葉を考えて選べば思いを伝えることができそう。その本を読み進めていくと、他にもお花を贈る時のヒントになりそうなことが沢山書いてありました。バラは本数によっても意味があるそうです。初めて知りました。3本には「愛してます」っていう告白の意味。11本は最愛、15本は永遠の友情。そして、108本の花束は「結婚してください」なんですって。それよりスゴイのが999本で、その意味は「何度生まれ変わってもあなたを愛する」らしいんです。けど999本って、どんな花束?憧れるけれども、想像できません。だって108本のバラだって、きっとすごく大きくて超豪華だと思いませんか?もらったことがないからわからないけど。でも、そんな花束でプロポーズなんてとってもロマンチックですよね。女子なら誰もが憧れます。そして、もし自分が贈るとしたら、11本が意味する「最愛」は、彼氏彼女だけでなく、両親や子供、兄弟姉妹へのプレゼントにもいいかもしれませんよね。けど、贈ったものの本数が意味するものに気づいてもらえるかどうかが私は若干心配。「11本のバラを贈ります」なんて、一部分にマーカーをした白々しいメッセージを添えてしまいそう。それじゃ、ちょっと興ざめですよね。うーん、そこだけは、要対策です!

壊れた扇風機

数年前の夏のことです。扇風機が壊れてしまいました。それは、まだ私が小学生だった頃、お小遣いを貯めて買ったものでした。体質的にエアコンが駄目だったのですが、まだそのことをうまく母に説明できず、1人でひっそり対策を考えた結果、扇風機に行き着いたのでした。
確か、今はもう閉店してしまった電気屋さんで買ったような……。在庫処分品で、箱が付いていませんでした。そのため、薄いビニールで覆われただけのそれを、抱き抱えて帰りました。その姿を見た母に、どうして買ったのか聞かれ、やっとエアコンが苦手なことを話せた……という思い出の品です。
今はもう同居していない家族の、やつあたりの的になったこともありました。お小遣いをこつこつ貯めて買ったものだったので、当時の私はとても大切にしていたのです。彼とケンカした翌日、油性のマジックペンでぐちゃぐちゃと落書きがされていました。泣きながら雑巾で拭いていると、母に怒られた彼がふてくされながら謝ってきました。その態度が気に入らなくて、また大ゲンカした……というしょうもない思い出があります。
○年間騙し騙し使ってきたそれが、ついにうんともすんとも言わなくなったときは、悲しかったですね。今は別のが活躍しています。その風が、読んでいる小説のページを揺らすような時、ふと思い出します。同じことが前にもあったのになあ、と。