おむすびの利点

職場へは、毎日母手製のおむすびをふたつ持って行きます。中身はひとつが梅干し、もうひとつが別の物です。それは昆布のこともあるし、おかかのこともあります。いつも、今日はなんだろうと思いながら食べるのですが、今日は食べる前にわかりました。外側に、鮭がついていたんです。そうか、今日は鮭かと納得し、がぶりと食いついた一瞬のち。私の頭には、疑問符が浮かびました。中は鮭だと確信していたのに、味が酸っぱいんです。なんだこれ?と自分の食べた残りを見れば……赤くて大きな梅干しが入っていました。おそらく、握るときに外側に鮭がついてしまったんでしょうね。とんだフェイントでした。おむすびはお弁当のときだけではなく、自宅でもよく食べます。お昼に自分しかいない時など、他におかずがいらなくて簡単だし、なにより片手で食べられますからね。読書しながら昼食、なんてことができるんですよ。行儀は悪いですけど、一人きりなら怒る人もいないので平気です。ちなみにパンも片手で食べられますが、結構くずが落ちますからね、おむすびのほうが勝手がいいのです。さて、明日も仕事です。梅干しのほか、もうひとつのおむすびの中身はなんでしょうか。私の希望はおかかです。

専業主婦の苦労と功績

母は普段家にいて、私が帰る時間には大抵ドラマを見ています。夕方再放送しているドラマです。でも今日は珍しくお友達と買い物に出かけました。まあたまにはね、息抜きをしないと。いくら子供(私のことです)はもう大人になっているとはいえ、専業主婦である母は24時間365日稼働中ですからね。ということで、帰宅したら母はおらず。たぶん久々に出歩いて疲れているだろうからと、まず洗濯物を取り入れて、お弁当箱を洗って、お風呂を洗って、テレビを見ながら洗濯物を畳みました。まあ主婦に比べたら大した労働ではありません。しかし仕事の後なので、座っている間腰が痛くて痛くて。母も持病がありあちこち調子が悪いのですが、それでもこれを毎日やっているのか、と、尊敬……とまではいかないけど、ああすごいなって思いました。しかも何十年も、ですよ?専業主婦は感謝されない仕事をしています。毎日の食事も洗濯も掃除も母がしますけど、ありがとうなんて言いませんもん。たまには言わなくちゃいけませんね。孝行したいときに親はなし、ではさみしいので、ちょっとずつ孝行していかなくちゃ。あー、でも今日は無理。痛む腰は外してお湯につけておけたらいいのに。そうしたら翌日はきっと、まっすぐに立てると思うんだけどなあ。

新聞の四コマ漫画は別格です

新聞の朝刊と夕刊にのっている四コマ漫画が好きです。毎日ちょっと笑える感じで、たいした事件があるわけではないけれど、気持ちがほっこりするからです。私のうちでとっている新聞では朝と夜は違う作家さんがかかれていますが、どちらも面白くて、時々は声を出して笑ってしまいます。子供の頃は新聞の記事は読まずに、四コマ漫画だけ読んでいました。今も時間がないとそうです。本当は記事をじっくり読まなければいけないことはわかっているんですが、朝ってほんっとに時間がないじゃないですか。それでも普段はさらっと全ページに目を通して、興味のある記事は読みますよ。でも寝坊なんてするとね、ああもう漫画だけでいいや!ってなっちゃいます。仕事から帰ったらほかも読もうなんて思うときもありますが、帰ったら帰ったで今度は夕刊がありますし……そうなると、朝刊は読みませんよね。ということで、私は新聞の中では四コマ漫画最優先なのです。でも、私たちのとこの新聞の漫画、面白くてよかったなあと思います。以前頼まれて違う新聞をとっていたことがあるんですが、その漫画は教訓のようでした。やっぱり漫画は楽しくあってほしいです。ということで、私は明日の朝刊の漫画も楽しみにしています。

小さな幸せでいい気分に

何もやる気が起きない時や、明日の仕事のことを考えると憂うつになったりすることってありますよね。そのままでは気分が落ち込んで、仕事にも集中できなかったり、嫌な気分で時間を過ごすことになります。それも嫌ですね。同じ時間を過ごすのなら、嫌な気分で過ごすよりも、楽しい気分で過ごしたいもの。気分が落ち込みそうになった時には、気分を変えることが大事ですね。
例えば、楽しくなる本を読むとか。幸せな気分になれる本や、おいしいケーキやデザートがたくさん載っているお店を特集している雑誌を見るとか、または楽しそうな観光スポットを調べるのもいいですね。次の休日に出かける場所を探していると、いつの間にか嫌な気分も飛んでしまいます。次の休日が楽しみになって、少々大変な仕事やつらい仕事も平気でこなすことができますね。
または、今晩の夕ご飯について考えてみるのも、ちょっとした気分転換になります。何を作ろうかな?と考えるのもいいですし、外に食べに行くことを考えると、ワクワクしてきます。おいしいお料理とおいしいお酒が待っている、と思うとやらなければならない目の前の仕事も進みます。気分が滅入りそうな時は、そんな小さな幸せを考えると、ちょっといい気分になることができますよね。

黒糖の魅力を知って黒糖ファンに

ダイエットを気にする私と父親のために、コーヒーや紅茶に入れる砂糖を黒糖に変えてみました。黒糖というものの存在は知っていましたが、今までそれを使おうと考えたことはありませんでした。しかし黒糖は健康にもよい、ということを雑誌で読んで知ってから興味がわいてきたのです。
そうはいっても黒糖のカロリーは普通の砂糖とそれほど変わりはありません。どちらかというと、黒糖の方が少し低カロリー、というくらいのもの。黒糖の魅力はミネラルとビタミンがたっぷり入っているということです。ビタミンやミネラルだけではなく、カリウムやタンパク質、カルシウムも豊富に入っています。これは砂糖よりも黒糖を使った方がいい、と思うようになりました。さらに、黒糖にはビフィズス菌を増やす働きや、血糖値の急上昇を防ぐ働きがあると言われています。これほどいろいろな働きがあるなんて知りませんでした。
さとうきび100%の黒糖は甘味もあり、おいしいです。コーヒーや紅茶に入れて飲んでいますが、コクがあってさらにおいしいですね。ただ、黒糖の減りが早いのでなぜだろうと思っていたら、父親が飴のように舐めていたのです。甘くておいしいので、気持ちは分かりますが、それではダイエットにならないですけどね。

休憩に読書をしてストイックな暮らしを

読書と言うよりもはや字や文章といった感じですが、本当に一息つくには読書が一番です。ふっとした瞬間に疲れた、と思うことは少なくありません。つまり、けっこう多くそういったことがあります。そしてさらに言うならそういう時、休憩した方が物事はうまく丁寧に進むのですよね。私の意見ですが、休憩ってとても大切です。そうして一息つきたいときがありました。それが普段ならタバコの一本でも吸って休憩終わり、とするのですが、その時私は少々のどを痛めていました。これも私の個人的な意見なのですが、のどを痛めているときにタバコを吸いたくないのですよね。どうするかなぁと思ったところ、目に入ったのは小説でした。手に取ってぱらぱらとページを開き、数ページ読むと少し頭がすっきりしました。不思議でした。普通なら疲れて読むと疲れているよ、とよく聞くからです。しかしそれもやはり人によるのだな、ということがわかりました。人によって本当に疲れる人は小説を呼んだら疲れますし、私みたいに読みあさっている人には読書はかえって癒しになる。そういったことをしみじみ感じましたね。今後もこれは続けていきたいなぁと思います。さらっとこうして休憩して、休憩が終わったらやることをやる。そんな生活が好きです。

ぼうっとしながら好きな本を

好きな、自分の改革にもなった小説は本当に宝物です。先日、お酒を飲みながらぼーっとその小説を読んでいました。この小説に出会ったのは高校生の頃でしたが、その時のことがありありと思い出されて切ない気持ちになりました。高校生といえば、私は一番大変だったなあ、と今になって思います。心の頼りはこの小説で、何度読み返したかわからないのにとても綺麗に保管しています。何度も何度も、私はその小説を読んだのです。文章のひとつも読み逃したくありませんでした。そんな時を、私はこの小説と過ごしていたんだな、と思うとなんだか感慨深かったです。あの頃から大学に通ったり、就職もしたり、辞めたり、アルバイトをしたり、挫折も成功も経験しました。大人になってから読むその小説は、これを頼りにしていた高校生の頃と違う感覚を受けましたね。今が一番いいと常に思うようにしている私ですが、あの頃から少しは成長出来たかな…なんて思いの外浸ってしまいました。これが好きな小説の威力というものなのでしょうか。さみしいような、うれしいような、そんな気持ちでした。同時にここまでのめり込んだ小説も珍しいな…と思ったのです。というより、その小説が一番私の人生で重要な小説だったのかもしれません。なににしろ、生涯読み返し続ける小説だなと感じます。時折でも一番大変だった頃を思い出して、こうして今の幸せを感じていたいからです。

おそるおそる、こわごわ

大好きな小説のコミカライズって、読むのが楽しみな反面、不安な部分もあります。ファン心が行きすぎて、並々ならぬ思い入れをしてしまっている登場人物のデザインが、想像していたのと全然違ったらどうしよとか…。そういうことをたくさん考えてしまうのです。言動なんかも、文字だけだったらあれこれ想像出来たところを、実際の絵にして、マンガで動きをつけていくと、「想像していたのと全然違う!」と感じられてしまうことがあるんです。いつもいつもというわけではないですが…。自分の中では、想像していたものが最も正しい形になってしまっているのですが、なんせ公式設定はコミカライズされた方ですから、自分の中で信じていた作品の形が、思いもよらぬところで崩されてしまう可能性もあるんですよね。愛着もわきすぎてしまうと、こういうときに結構不便で、大変です。ただ、それを上回る感動に出会うことも多いので、コミカライズをはじめとするメディアミックスには、ついつい手を伸ばしてしまいがちです。「私の中の作品像はこうなっているから!」と突き放して、メディアミックスされたものにまったく触れないで生きていくのもまた寂しいんですよね。複雑な心境ですが、これも楽しめるようになるでしょうか。

塗りながらなにか出来る?

マニキュアもペディキュアも、塗っていると部屋の中にすごくにおいがこもりますよね。適度に換気をしながらやらなくちゃいけないのは分かっているのですが、窓を開けられないシーズンだったり、うまいこと換気扇がついていない場所だったりすると、なんとなく我慢すればいいかな~と思って、やり過ごしてしまうことが多いんです。私の場合や、周囲の友人の場合は結構これが多くて…。爪の手入れをしているときって、肌のお手入れと一緒で、一日の中のリラックスタイムに相当している人も多いですからね。もちろん、気合いをいれたオシャレということで、全然気が抜けず、「リラックスなんて生ぬるいことを!」っていうくらいの人もいますが…。友達とお泊り会なんかをすると、大抵誰かが塗り始めるので、もう誰も「シンナーくさい!」と文句を言わなくなっていた気がします。以前、小説の続きを読みつつ塗ろうとしたら、本に垂らしてしまって、これは駄目だと断念したことがありました。雑誌を広げながら、足でうまくストッパーをつくって塗っている友人もいますが、少し行儀が悪いので避けたいところで…結局、きちんと手元でやっていることに集中した方がいいんだろうなという結論に至るのです。

四季のある国

四季がある国に生まれて良かったなと思うのは、自分で実際に情緒ある風景を見たときでもあるのですが、一番強いのは、やっぱり本を読んだときです。短歌や俳句などの作品から、小説や詩、マンガに至るまで、四季の影響を受けた言葉や演出、風景って、とにかくたくさん織り込まれているんですよね。ルールに「季語を入れなくちゃいけない」なんて、美しい四季があって、なおかつその四季を愛するために様々な言葉で言い表した人がいなければ、構成されないものだと思います。そのくらい、日本人は昔から四季を愛して、大切にして、側においておこうとしたんだと思うと、胸があつくなります。読解をきちんとしない限り、ぱっと読んだだけでは全然分からないような俳句でも、ふとした言葉の欠片から四季を感じることが出来ると、それだけで満ち足りた気持ちになることもあります。時代が変わるにつれ人も文化も変わって、たびたび「日本語の乱れ」ということが騒がれる世の中ですが、そんなに捨てたものでもないのかも、と感じるときもあります。絶対数が減っていくのは悲しいですが、文化として受け継がれていく四季の言葉は、忘れられることや、使われなくなってしまうことはないように思うのです。