図書館のロマン

最近は家で本を読むことが多くて、あんまり図書館で読んだり借りたりということがなくなりました。本もついつい通勤途中やショッピングモールの書店で買ってしまって……。だから増えすぎてしまうんですけどね。でも、図書館ってちょっと異空間で大好きです。学生時代には学校の図書室にもそこにしかない魅力を感じていました。おおよそ新刊からはほど遠いんだけど、読み古された感じも悪くないんです。中には落書きがあったり、誰かにあてたメッセージがあったり。それらを読むのもちょっと楽しみでした。それに学校の図書室って独特の匂いっていうか、それは本の匂いかもいれないけど、懐かしいイメージとして残っています。もし今、どこかでその匂いに出会ったら感動しそうです。
ずいぶん前になるけど、そんな図書館の本からストーリーが始まる映画を観たことがあります。本の間にしおりのようなメモがあって、それを見つけたことが始まりだったかな。詳しくは覚えてないけど、遠い日々への思いと現実の思いとがとても美しく描かかれていたっていう印象が残っているんです。沢山の人が手にした本には、その本のストーリー以上の物語がそこにはあるかもしれません。そう思うと、すごくロマンを感じてしまいます。
久しぶりに図書館にロマンを感じに行ってみようかな。

ネタから始まるストーリー

お笑い芸人の人って、よくテレビに出ている人からあんまりメジャーでない人まですごく沢山いると思うんだけど、その人たちみんながやってる共通のことがあるんです。この前、あるコラムを読んで知ったんですけどね。実は、みんな日々ネタを作っているってことです。もちろんお客さんを笑わすためにです。彼らは笑ってもらわないことにはお話になりません。それによって、活躍できるかできないかが決まるんですから。真剣に取り組まないはずがありません。だから、何よりも最優先で必要だと思うのがネタを書くためのテーブルなんだって。お金がなくても、引っ越しをしても。コラムにはそのハンパない苦労のことも書いてありました。なんだか見方が変わりそうです。次々新しいネタがないと続けていけないお笑いを軽々しく思ってなんかいられません。こっちはただ笑っているだけですけど。
そう考えると納得できる事があります。お笑い芸人さんの中には素晴らしい小説や脚本を書く人がいますよね。今までは、畑違いでも活躍できる才能のある人っているんだなって思っていました。でも、そうじゃないんですね。日々アンテナを張り巡らせて情報を集めて、それから自分なりに考えてお笑いのネタを溜めること、その根本的なところが似ているから小説が書けるんですね、きっと。だから今ではテレビで見ても、尊敬のまなざしを向けながら笑っています。

流れ星に願う

先日、友人と一緒に食事をした帰り道のことです。その日はとってもいいお天気だったので、夕焼けから群青色の空へと刻々と変わっていく様子も雲に遮られることなく眺めることができました。しばらくすると、ひとつ、ふたつと星が見え始めました。その時、彼女が言ったのです。「流れ星にお願いをしたことある?」って。それそれ。流れ星が流れているうちにお願いをしたら叶うっていうお話。ずーっと昔から言われています。けど、私は都市伝説かおとぎ話のように思っていました。だって、いつ見えるかわからないのにお願いするなんて、ほぼ不可能だと思っていたからです。それに、そもそも流れ星自体をほとんど見たことがないんですもの。ずいぶん前になんとか流星群とかっていう流れ星の大群を見たことがあるけど、その時でさえ願い事を言うタイミングが難しかったんですから。そしたら、彼女がこの前読んだ本にその答えがあったって言うんです。いつ流れるかもわからなくて、それもほんの短い時間の流れ星に自分の願い事を言うことが出来るのは、自分の夢をしっかり自覚していて常に夢に向かって努力している人なんだって。いつもそれが心にあるから、すぐに言葉にすることができる。だから叶うんだって。なるほど。すごく明確。私の叶えたいことはなんだろう。彼女も今、自問自答しているそうです。その日私たちは星を見上げながら、今日はまだ流れないでと願ったのです。

短い言葉に心をこめて

先日、ショッピングモールに出かけたら、イベント広場で「絵手紙教室」の作品展示会をしていました。そこには沢山の作品が展示してあり、どれもとても味のあるもので、見ていたらつい微笑んでしまうものばかりでした。花や野菜、動物などの大きな絵に短い言葉だけのとてもシンプルなものです。でも、インパクトがあり、圧倒的な迫力で語りかけて来ます。なかでも私がすごく感心したのは、絵に添えられたとても気の利いた短い言葉でした。ほんの一言なのに、どれほどの文章に表しても表しきれないほどの思いを感じます。ひとつの小説にも匹敵するくらいの物語を感じるのです。
「こんな素敵な絵手紙って私も描いてみたい」って素直に思ってしまいました。そんなわけで、そこで体験してきちゃいました。会場に置いてあるお花や果物をモチーフに絵を描いて色を付けて、言葉を添えます。先生によると、絵は自分の好きなように大きく自由に描いていいんだそうです。絵手紙には失敗と言う言葉はないんだって。とは言っても初チャレンジなんだもの、緊張しました。そしてピタッとくる言葉を選ぶことの難しさと言ったら。これは、経験なのかなぁ。普段から言葉をストックしておくことが必要なのかも。私が何を書いたかは秘密です。けど、初めてにしては上手だって褒めてもらいましたよ。私は褒められて伸びる人ですから!
家に帰ったらどこに飾ろうかなと考えながら歩いていた私の鞄からは、足並みに合わせてカタカタと音が聞こえていました。絵手紙の道具、買ってしまいました、私。

11本の花束

花言葉の本を読んでいると、ホントに色んな意味があって、そこにはストーリーもあってけっこう夢中になってしまいます。私はひまわりが大好きで、ガーベラやコスモスも好きです。もちろん色んな色や表情があるバラも好きです。花束を贈る機会は何かにつけてあると思うんだけど、どんな時もバラの出番は多いですよね。そして色によっても花言葉が全く違っていたりするから驚きです。プレゼントする時に花言葉を考えて選べば思いを伝えることができそう。その本を読み進めていくと、他にもお花を贈る時のヒントになりそうなことが沢山書いてありました。バラは本数によっても意味があるそうです。初めて知りました。3本には「愛してます」っていう告白の意味。11本は最愛、15本は永遠の友情。そして、108本の花束は「結婚してください」なんですって。それよりスゴイのが999本で、その意味は「何度生まれ変わってもあなたを愛する」らしいんです。けど999本って、どんな花束?憧れるけれども、想像できません。だって108本のバラだって、きっとすごく大きくて超豪華だと思いませんか?もらったことがないからわからないけど。でも、そんな花束でプロポーズなんてとってもロマンチックですよね。女子なら誰もが憧れます。そして、もし自分が贈るとしたら、11本が意味する「最愛」は、彼氏彼女だけでなく、両親や子供、兄弟姉妹へのプレゼントにもいいかもしれませんよね。けど、贈ったものの本数が意味するものに気づいてもらえるかどうかが私は若干心配。「11本のバラを贈ります」なんて、一部分にマーカーをした白々しいメッセージを添えてしまいそう。それじゃ、ちょっと興ざめですよね。うーん、そこだけは、要対策です!

壊れた扇風機

数年前の夏のことです。扇風機が壊れてしまいました。それは、まだ私が小学生だった頃、お小遣いを貯めて買ったものでした。体質的にエアコンが駄目だったのですが、まだそのことをうまく母に説明できず、1人でひっそり対策を考えた結果、扇風機に行き着いたのでした。
確か、今はもう閉店してしまった電気屋さんで買ったような……。在庫処分品で、箱が付いていませんでした。そのため、薄いビニールで覆われただけのそれを、抱き抱えて帰りました。その姿を見た母に、どうして買ったのか聞かれ、やっとエアコンが苦手なことを話せた……という思い出の品です。
今はもう同居していない家族の、やつあたりの的になったこともありました。お小遣いをこつこつ貯めて買ったものだったので、当時の私はとても大切にしていたのです。彼とケンカした翌日、油性のマジックペンでぐちゃぐちゃと落書きがされていました。泣きながら雑巾で拭いていると、母に怒られた彼がふてくされながら謝ってきました。その態度が気に入らなくて、また大ゲンカした……というしょうもない思い出があります。
○年間騙し騙し使ってきたそれが、ついにうんともすんとも言わなくなったときは、悲しかったですね。今は別のが活躍しています。その風が、読んでいる小説のページを揺らすような時、ふと思い出します。同じことが前にもあったのになあ、と。

コミケに行ってみたい!

昔好きだった作品の続編がいつの間にか出ていて、少し驚きました。完全に完結したものだとばかり思っていたので、チェックを怠っていました。どうやら同人誌で出されたもののようで、慌てて買おうとしても遅きに失した模様です。残念。
少女小説やBL小説などの作家さんが、コミックマーケット等の即売会で、ご自身の作品の番外編などを頒布されることが、最近増えてきたように思います。そちらの畑出身の作家さんが増えたということでもあるのかもしれませんね。
コミックマーケット、その噂はかねがね漏れ聞いております。特に夏には、集った人々の熱気と汗で、室内に雲が出来るほどなのだとか。行ってみたくはあるのですが、若い頃ならともかく、今はあのものすごい人混みに耐えられるかどうか……。ネット上に上がっている写真などを見ても、すごい人出ですよね。
頒布されているのも、いわゆるパロディコミックなどだけではなく、資料価値の高いものがあったりするとのことなので、年々行きたい気持ちがうなぎ登りです。以前参戦したことがある友人いわく、効率的に回りたいなら、先にパンフレットを買ってマップに印を付けておけとのこと。そして、人気のあるサークルさんの本が欲しいなら、会場の外に並ぶのを覚悟しておけとのこと。……彼女をガイド役として巻き込むのが1番良い気がしています。

今は苦しくても、いつかは

相手側からしたら何気ない言葉だったとしても、受け取った側としてはものすごく傷ついてしまうような言葉だった……。生来の気質が神経質な私としては、こういうこと、よくあるんです。気にしすぎても辛いだけだと分かっているんですが、相手の言葉尻やら単語の選び方やらが気になって、何とも無神経に思えて、勘に触って、どうしようもない、という……。
物心つかない頃からこうだったようですから、半ば諦めていました。その手の自己啓発本や、自ら鈍感になるためのあれこれをエッセイなどで発表していらっしゃる小説家の方の本などを読んでみても、ちっとも身につきませんでした。
少しずつ改善されてきたような気になり始めたのは、もうすぐ○○歳、という区切りが近づいてきてから。一般的にはいい大人と目される歳です。あからさまに悪意を向けられたのでない限り、「まあ、いっかー」と流せることが多くなってきました。
そのことにふと気付いてから、かつて通りすぎてきた自己啓発本やら鬱系の青春小説などを読んでみると、その中でお説教されていたことを案外身に付けていることを発見しました。全部が全部ではなく、無意識にこびりついていたようなものがじわじわと溶けこんでいったような感じ、でしょうか。次の区切りの歳には、もっと楽になるのかなあと思うと、ちょっと楽しみです。

1度考えると止まらないこと

扇風機に顔を近づけ、「ワレワレハ、ウチュウジンダー」。子供の頃、友人とよくやっていました。今でもこの文化(?)が残っているらしいことを聞いて、とてもうれしく思いました。時の流れは待ってくれません(なんて言うと、途端に重い話のように感じますね)。自分たちがかつて楽しんだものが若い世代に受け継がれていると思うと、何と言いましょうか、ただ風化していくだけのもの――だけがこの世に存在するわけではないのだなあ、という感慨が湧くのです。ちょっと、いえ、すごく大げさですけれども。
今読んでいる小説なども、100年先、200年先にはどれだけのものが歴史に残っているのだろうなあ、なんて考えてしまうことがあります。記憶媒体が発達していますから、紙の本のように焼失したり、分散流出してしまうようなことはほぼなかろうと思うのですけれども。
私という個人も、後に何を残せるんだろうとか、宇宙規模で見たらノミやミジンコなんてレベルじゃないなあとか、色々考えてしまいます。考えても詮ないことだと分かっているのですが、ふとした瞬間にスイッチが入ると、もう止まりません。怖い、と感じることもあれば、それならそれで好き放題生きてやらあ、と気が大きくなることもあります。たまにはそんな時間も良いかな、と思います。

愛蔵版をどうするか

とある大型本を手放そうか迷っています。私の大好きな海外ミステリー小説の、とみに有名なエピソードのみを抜き出して収録したもので、愛蔵版として非常に高価な金額で売り出されたものでした。各エピソードになぞらえた豪華装丁がなされていて、読むのも触れるのももったいないと感じる余り、化粧箱から取り出す時は薄手のゴム手袋を嵌めていました。もちろんじっくり読むようなことはせず、ただ眺めては悦に入っていました。
ファンとしては是非とも押さえておかなければならない逸品、と考えて買ったこの本……。しかし時が経つにつれて、「実は要らないものだったんじゃないか?」という気持ちが芽生えてきました。素敵なものを所有しているという満足感はあるものの、読み物としては全く扱っていないなあ、と。
そのミステリー小説への愛は未だに薄れていませんし、普段読む用がボロボロになったらその都度買い換えてきました。でもこの愛蔵版はそうもいかないわけで……。だからこそ愛蔵版なわけですが。
いやはや、年月が経つことによる価値観の変化というのは面白いですね。当時だったら手放すなんてこと、絶対考えなかったでしょうから。しばらくは目の届かないところに保存しておいて、ある一定の時期が来た時の自分の心持ちで判断しようと思っています。