愛蔵版をどうするか

とある大型本を手放そうか迷っています。私の大好きな海外ミステリー小説の、とみに有名なエピソードのみを抜き出して収録したもので、愛蔵版として非常に高価な金額で売り出されたものでした。各エピソードになぞらえた豪華装丁がなされていて、読むのも触れるのももったいないと感じる余り、化粧箱から取り出す時は薄手のゴム手袋を嵌めていました。もちろんじっくり読むようなことはせず、ただ眺めては悦に入っていました。
ファンとしては是非とも押さえておかなければならない逸品、と考えて買ったこの本……。しかし時が経つにつれて、「実は要らないものだったんじゃないか?」という気持ちが芽生えてきました。素敵なものを所有しているという満足感はあるものの、読み物としては全く扱っていないなあ、と。
そのミステリー小説への愛は未だに薄れていませんし、普段読む用がボロボロになったらその都度買い換えてきました。でもこの愛蔵版はそうもいかないわけで……。だからこそ愛蔵版なわけですが。
いやはや、年月が経つことによる価値観の変化というのは面白いですね。当時だったら手放すなんてこと、絶対考えなかったでしょうから。しばらくは目の届かないところに保存しておいて、ある一定の時期が来た時の自分の心持ちで判断しようと思っています。

小説で英語学習

大好きなファンタジー小説の原文を、その朗読CDを聞きながら読み上げるといったことを始めて、結構経ちます。邦訳版のおかげで訳文が大体頭に入っているのと、好きなものと関連づけてなら長続きするかと思って始めたことでしたが、案外毎日欠かさず出来ています。
映画やニュースなども、そのまま聞いて理解できる……ところまではいっていませんが、「全てひとかたまりの何か」として聞こえていたのが、どこで単語が区切れたのかくらいまでならすぐに分かるようになりました。街頭インタビューなどなら、なかなかの精度でヒアリング出来ています。
思えば私は、学生時代から英語が大の苦手でした。日本を訪れる外国人が英語で話しかけてくる(個人的経験の範囲内でのことですが)ことについても、郷に入っては郷に従え、と思っていたようなヒネた子供でした。けれどこうして、昔よりはるかに頭がかたくなってしまった頃になって学びたくなるとは因果なものですね。すり足で進んでいるかのような遅遅とした歩みですが、少しずつ少しずつ成長できているのがわかって、今とてもうれしいです。
そしていつかは行きたい海外旅行。行き先はもちろんそのファンタジー小説の原作者が生まれた国。情景描写がそのままだという評論をどこかで読んだので、本当にそうなのか、いつかこの目で確かめてみたいです。