美味しい小説

小説には色んな種類があって、中には料理や食べ物が題材になっているものがあります。読んでるだけで、その料理が目に見えてきたり、いい匂いがしてきたりします。もちろん、自分が知らない料理は勝手な想像をするわけだから、本当の物とは異なったものをイメージしているときもあるとは思うんですけどね。今、読みかけている小説もそうなんです。京都が舞台なんだけど、エピソードごとに何かしらのお料理や食べ物が出て来ます。京料理もたくさん登場するから、私の頭の中は勝手な想像といわゆる『はんなり』したイメージが出来上がります。物語は衝撃の事件があるわけでもなく、小川が流れていくような感じで優しく穏やかに進んでいくんです。こういう小説ってヘタすると退屈だったりするのに、この物語は全然退屈ではありません。美味しいご馳走をゆっくりと味わうように、登場人物の心の通い合う様子や心の動きを楽しめるんです。たまには、ドキドキやワクワクでのめり込むような物語ではなく、ゆったりと癒されるようなものもいいですね。そんな中では大事件じゃなくて、ほんの小さな出来事が心をつかんで止まないんです。まだ読み始めたばかりだから、読破するにはもう少し時間がかかりそうです。でも、もう完全にハマっています。だから、これからの展開が楽しみで仕方がありません。

人は思い通りにはならない

先日、読んだ記事にこんなことが書いてありました。『人は人生という学校に来ている』って。そして、そこで学ぶことは途轍もなく時間がかかるものなんだって。だから、誰かの振る舞いにいちいち感情的になるべきではないんですって。自然の流れに任せておけばいいんです。学びの期間と考えれば、だんだん賢くなっていくものなんです。確かに、世の中には色んな人がいます。私なんかは偉そうに誰かに注意なんてできないけど、職場でも上司から注意されてもなかなか態度を改めることができない人がいます。けど、誰に対しても目くじらを立てるべきじゃないらしいんです。考え方によれば、それは正しいって私は思います。なぜなら、以前に読んだ本に書いてあったんだけど、他人は思い通りにはならないものだって。たとえ家族でもそうで、それが子供であっても赤ちゃんであってもそうなんです。一個人だから、自分の思いや考えがあるんです。思い通りにできるのは自分自身だけなんです。これって、本当にそうですよね。誰かに自分の都合のいいように変わってもらおうなんて思っても絶対に無理なことで、できることは自分が変わることなんです。自分が変わる努力をして、少しでも人から尊敬されて愛されるように努力することが、何事も上手く行く近道で、きっと一番大事な事なんだと思います。

医療小説いろいろ

先日、医療小説ばかりを紹介している記事を雑誌で見かけたんです。かなりの数を紹介してあって、なんだかそれだけでお腹いっぱいになってしまいそうな勢いでした。なぜって、医療小説自体が軽くサラサラと読めるものではなく、どちらかというと重いテーマが多く、専門用語も多いから、ちょっと気合がいる感じがします。私はミステリー要素があるものや、若干コメディタッチの物の方が好きです。本当にずっしりと重たいものは気軽には読めないからちょっと苦手なんです。なんだか体力消耗してしまいますものね。
けど、そこに紹介されている作品には、映画化されたものや本屋大賞などの受賞作もあって、大ヒット作品もありました。医療って、人が生きて行くうえで切っても切れないものだから、みんな興味があるんですよね。そして、なにかと、問題や事件にもなりやすいですしね。
また、実際の医療現場のことは一般の人にはわからないことが多いものです。だから、小説を読んで、その立場の人のことを理解したり、考えさせられたりするものです。読むほどに専門知識が増えていくから、誰かから、「どうして、全く関係ない仕事をしているのに、そんなに医療について詳しいの?」って尋ねられるかもしれません。もし、そうなったら、ちょっと胸を張って答えてしまいそうです。読書の賜物だって。ま、頭でっかちに過ぎませんけどね。