本音と建て前

この前読んでた小説に何度も出て来た『本音と建て前』。細かい心理描写が独特で人間の心の奥をすごくよく映し出してるなって感じられるものでした。だから、「心の中ではこう思うけど、表向きにはこう言っておく」なんていう表現が沢山あって、それ自体は賛同しがたいけど、大人の社会ではよくありがちな事だと思います。社会はある意味、それで成り立っているとも言えます。けど、そのことをどこかで公表してしまうと、そこから問題が発生したり誰かを傷つけたりするかもしれません。
私はまだ幼い、幼稚園の頃に、大人には『本音と建て前』があるんだと知ってしまった出来事がありました。もちろん、そのときにはそんな難しい言葉は知りません。でも、「大人の言うことは信じられない」と思ったんです。何があったかと言うと、その頃、近所の私より年下の子でよく遊んでいた子がいたんです。名前は忘れてしまいました。幼い私は遊びに行くときに時間など気にしていなかったから、ちょうどお昼ご飯くらいのこともあったようです。遊んでいたらその子のお母さんが「お昼ご飯をいっしょに食べよう」と言ってくれていたんです。今でも覚えているのが、カットしたキュウリにマヨネーズがかかったものです。おかずは他にもあったと思うんだけど、家ではキュウリをそんな風に食べていなかった私には珍しくて嬉しかったんです。でも、しばらくしたら母から遊びに行っちゃダメって言われたんです。そして、母の口から出てきたのは驚きの言葉でした。「○○ちゃんのお母さんがお昼ご飯のときに遊びに来るから、ごはんの用意をしないといけなくて大変だ」って近所の人に話してるって。「いっしょに食べよう」って言ってくれてたのにって、幼いながらショックでした。そして、私は大人には『本音と建て前』があると知ったのです。キュウリは今も好きだけど、時々、思い出すのです。だから、キュウリは私にとっては『本音と建て前の味』なんです。

おもしろ「土佐日記」解説

読書が好きだけど、専ら現代文で古典にはほとんど触れていません。でも、たまに小説の中に取り上げられていたり映画に取り上げられていると興味が湧きます。
先日、かの有名な『土佐日記』について、ある記事を読んだらすごく面白かったんです。記事の筆者の解説が楽しいったらないんです。学校で習った時のような解釈ではなくて、現代に当てはめたものだから本当に笑えました。記事を見かけた時『女装おじさんの旅日記』となってたから、一体どんな内容なのかと思って見たら『土佐日記』だったんです。たしかに、『土佐日記』は、「私は女だけど文章を書きますよ~」という書き出しでしたよね。でも、紀貫之は明らかに誰もが知る男性ですものね。当時は男性は漢字、女性はひらがなを使う文字のルールがあったから、貫之はひらがなでの文章を書くために女性になり切って書いたんだそうです。でも、そこには女性なら絶対にこんなことは言わないだろうという『おやじギャグ』や『ダジャレ』が散りばめられているんですって。筆者独自の現代語訳が、とびっきりの出来でした。思わず声に出して笑ってしまったんですもの。電車で読んでなくて良かったと思ってしまいました。昔の文学も教科書みたいな解釈ではなく、現代風に解釈すると面白さが倍増します。苦手な古典だけど、ちょっと足を踏み入れてみたくなりました。

映画化してほしい小説

映画化される小説やコミックって、どうやって決まるのかな。読者からの要望なのか、制作会社が撮ってみたいって思うのか、その辺のことは全く知らないんだけど、興味はあります。映画化が決まって、その評判を聞いて原作を読んでみることが結構あります。でも、小説を読んでいるうちに、これを映画化してほしいなって思うこともあるんです。人間模様が面白い場合は特にそう思います。それは、いつも読みながら物語の中の風景や状況に自分も溶け込んでいたり、すぐそばで見ているような感覚だったりするんです。けど、その情景の中にどんどん引き込まれる時には頭の中にある映像を引き出したいって強く思います。まるで、今まさに映画を観ているように思うことだってあります。そんな時には、スクリーンを頭の中に描いていて、スクリーン上のタイトル文字までイメージして見えることがあります。
この前、読んでた小説も映画にならないかなぁって思っています。ハッキリとタイトル文字が頭の中に浮かんでいます。時空を超えるストーリーだから絶対に楽しめると思うんですよね。登場人物の配役まで一部は決めています。って、「関係ないじゃん」って突っ込まれそうですけどね。でも、もし、本当にそうなったら、封切り早々劇場に観に行くことは間違いありません。