風邪の予防に大笑い

健康を保つためには普段から免疫力を高めることがいいんですよね。乳酸菌が良いとも聞いたことがあります。乳酸菌の中でも特に良いと言われているものもあるようです。けど、そもそも人間はストレスが溜まると色んな不調が起こってくるものらしいんです。もちろん、極端な不摂生は別ですけど、そうでなければ、すべての原因はストレスだと言っても過言ではないくらいなんですって。けど、人によって違いはあるにしろ、全く感じない人なんていませんよね。じゃあ、それとどう向き合うかということが問題なのかもしれません。
先日、見かけたコラムには免疫力を高める科学的な方法として、一日一回の大笑いが紹介されていたんです。そこに紹介されていたデータは、チャップリンの映画を観た後や落語を聞いた後にストレスホルモンを測って研究したというものでした。笑うことでストレスが軽減されるのは明らかなんですって。そして、ここからが注目なんです。それは目の前に面白いことがなくても、体操のように意識して笑ってみるだけでも効果があるというんです。手を伸ばして、大声で「わっはっはっは」ってやってみると、その動作から自然と楽しい気持ちが引き出されるんだそうです。どうも面白いことがあるかどうかは問題ではないみたいです。体の動きが重要だということにありますよね。誰かに見られていたら恥ずかしいですけど、寝る前に一人でなら出来そうです。その日のストレスは笑い飛ばしてから眠るといいかもしれません。『笑う門には福来る』です。

意識って不思議

この前、読んだ小説は、事故で命を落とした主人公の魂が他の人の中に入ってしまうというストーリーでした。交通事故にあった瞬間、「あーっ」と叫びながら、幼い頃に父親と遊んだことや初恋や楽しかった学生時代などが次々と頭の中に浮かんできました。もちろん、フィクションだから事実ではないんだけど、その光景が読んでる私にもはっきりと見えました。だから、人が命の危機に直面したときって、きっとそうなんだろうって思えたんです。
でも、その時、私も似たような体験をしたことがあることを思い出しました。それは学生時代のことです。バイト先の店長とバイト仲間みんなで初日の出を見に行ったんです。一台のワゴン車に乗り込んで、深夜に出発しました。日の出がキレイに見える場所を誰かが調べてくれていて、山道をグングン上がって行きました。山の上で海からの日の出を見る計画だったんです。でも、あいにくの天候で途中から雪がどんどん降ってきて、結局初日の出は見れなかったんです。それでも、みんなで出かけたことは楽しかったものです。でも、帰り道。山から下りているときにワゴン車が大きくスリップしてハンドルが効かない状態になったんです。その時のことを今でもよく覚えています。眼下に海が見えて、身体には崖から海に向かってフワーッと落ちて行く感覚がありました。絶対に落ちる、もう助からないと思っていました。不思議なのは、その時の様子が本当にスローモーションのようだったということです。けど、幸いにも道路わきの木にぶつかって止まったんです。目を開けた時に落ちていなかったことが不思議なくらいでした。思い出しただけでゾッとします。
小説は交通事故から物語が始まるんだけど、現実はダメです。やっぱり、そんなのは小説の中だけがいいですよね。

もう一つの物語

小説には続編があるものがあります。もともと初めから上下巻に分かれているものもあるけど、それとは違います。それはそもそも一つの長い物語を二冊に分けているのですから。続編はいったんそのお話は完結したんだけど、後に続きとして新たに物語が始まるといったものです。でも、それとも異なる、別の角度からの物語があることがあります。たとえば、主人公の友人の目線からのお話などです。本来の小説では主人公を囲む登場人物の一人としての役割だったのが、もうひとつの物語では主人公になってお話が進むのです。今まであんまりそういう類の小説を読んだことがなかったんだけど、これが面白いんです。ただ、個人的には最初に元のお話を読んでからの方がいいんじゃないかと思います。別人の目線だと時間の流れ方も違うし、「この時に実はこんなことがあったんだ」なんて新たな発見になったりします。そして、本編では主人公の感覚、想像でしかなかった部分が明らかにされることや全く触れられていなかった部分が表に現れてくることも興味深いものです。
少し前に読んで、とても面白かった小説にもう一つの物語があることを先日、知ったんです。今、すごく気になっています。そこにはまだ私が知らないことが沢山散りばめられているかと思うと、期待が膨らみます。早く読んでみたいです。

芸能人も読んでるあの新聞

最近、なかなか新聞を読む時間がありません。小説は通勤途中に読むこともあるし、大概バッグに入れて持ち歩いているから、ちょっとした時間でも開くことができるんです。でも、新聞となると自宅だけになるし、つい他のことを優先してしまいます。
そんな風に思ってたら、先日、こんな記事を見かけたんです。『あの人も読んでる小学生新聞』って。そこには誰もが知ってる有名な芸能人のコメントが載っていました。そこには最新のニュース、時事ニュース、政治や経済、スポーツなど幅広く、そして小学生が理解できるようにわかりやすくまとめられているんです。だから、こどもだけでなく大人も十分楽しめるし役に立つと書かれていました。やっぱり、わかりやすいというところがポイントなんでしょうね。きっと時間をかけなくても理解ができて、情報を収集できるとこがいいんだと思います。実は、私が小学生の時に家でその新聞をとってもらっていたんです。学校から帰ってくると、どんなことが載っているのかを見るのが楽しみだったのを覚えています。紙面の中には悩み相談コーナーや詩の投稿コーナーがあって、そこに投稿するのが楽しみでもありました。掲載してもらえたらすごく嬉しかったんです。ワクワクしながら紙面を開いてみた記憶があります。けど、時間をかけないで情報や知識を得るには本当にイイかもしれません。『あの人』みたいに私も始めてみようかな、小学生新聞。

クマとの遭遇したエピソード

部屋のクローゼットを整理していたら、何年も前に購入した音楽雑誌がたんまりと出てきました。雑誌を読みながら、特に目に止まったのはロックフェスティバルの特集でした。大好きだったバンドが雨に打たれながら演奏している写真はいつ見てもカッコよくて、会場でライブを体感したような気分にさせてくれるものです。そして野外で音楽を聴くあの開放感と気持ち良さを部屋の中で再確認しながら、あっという間に時は過ぎていったのでした。
さてロックフェスと言えば忘れられない逸話があります。それは友達が話してくれた怖くもあり驚きの体験談です。ロックフェスティバルへ行くことが恒例行事となっている彼女は、会場近くにある知り合いが購入したリゾートマンションに毎年宿泊しているそうです。かなり古い建物で普段はめっきり人が滞在することも少なくなったこのマンションには、こうしたイベントがある時だけ数少ない宿泊客がやってくるようだと話してくれました。
ライブが終わり夜遅くに友人がその建物の玄関に辿り着いた時、大きくて茶色いものを目撃しました。およそ140センチはありそうなその物体は背中を丸くしてモソモソと動いていたそうです。友人一行が目の前の物体を少し離れたところで観察していたところ、クマだということが分かったのでした。管理人さんに聞いたところこの一体ではよくクマが出没するそうで、そっとしていれば特に害は加えないとアドバイスをくれたそうです。滞在中2回ほどそのクマに遭遇したことを、面白おかしく話してくれたためか私の記憶に色濃く残り続けているのでした。とにもかくにも彼女が無事でいてくれて何よりだと思いながらも、この体験談はロックフェスについての書籍を読む時これからも決まって思い出すような気がしてならないのでした。

デマについて

普段、新聞をゆっくり読んでる暇がないから、主にネットニュースで情報を取り入れていることが多いです。あとは、本や雑誌でも情報を得ています。本や雑誌ではまず間違いはないはずだけど、ことネットに関しては結構な頻度で『デマ』もあるようなんです。先日、読んだ記事に書いてあったんです。そして、もちろん日常生活にそれは溢れているんですって。その記事に紹介してあったのが『デマの心理学』をいう本でした。そもそも特に注目されるようになったのは、東日本大震災以降なんですって。SNSが災害時の情報収集として使われたからです。そして、その後、熊本地震や津波警報、日々の事件や事故などが起こるたびに多くの『デマ』が飛び交ったというんです。誰かの『冗談』がいつのまにか『真実』に変身してしまっているんです。
その本は、『デマ』が広がる仕組みや傾向を紹介してるし、実験とその結果そして分析を紹介しています。けど、それは最近になってできたものではなく、大昔からあったものなんですって。そして、本質はそんなに変わってないんだとか。悪意のあるものじゃなくても、いつのまにか変化をしてしまって『デマ』となって一人歩きを始めちゃった、なんてことがあるようです。
その記事の結論は、それを有効に防ぐ手段の一つに、聞き伝えにはどんな物事に対してもまず疑ってみることなんです。しっかりした根拠が見えなければ、耳にしたことを安易に信用してはいけません。だって、そんなことで踊らされたくないですものね。

寄り添う言葉

時々、安易に口から出る励ましの言葉を飲み込むことがあります。それは、仕事や趣味や、時にはプラベートでも困難にぶつかってる時、今まさにそんな状況の中で真剣に向き合っている人に声を掛けるときです。つい「頑張ってね」って。でも、もう十分頑張ってるのはわかってるんです。だから、そう声を掛けるのは違う気がするんです。「じゃあ、なんて言ってあげればいいんだろう」って考えてもなかなか答えが見つからないものです。「頑張ってね」じゃなければ、「絶対にできるよ」なのか「上手く行くように祈ってるよ」なのか……。
実は先日、頑張れない人に向けた名言集という本を見つけたんです。そこに書いてあることはすごく納得できました。落ち込んでいるときには、巷に溢れているポジティブな励まし、つまり聞き飽きた言葉では一歩踏み出せないって。必要なのはそっと寄り添うような言葉なんです。寄り添いながら、結果的には前向きになれるような新しい視点や考え方を提供することが大事なんです。「弱音を吐くな」ではなく、弱音は吐いたっていいんです。「無理しないで休んでね。待ってます」こんな風に声を掛けることができれば、その人だって「うんざりだ」とか「だからこれ以上、もう無理なんだって!」なんて思わなくもいいんです。私もこれからはその本に書いてあるように、そっと寄り添ってあげれたらいいなって思います。

まるでノンフィクション

ふつう小説はフィクションのはずなんだけど、たまに実際の事故や事件を題材にした物語があります。それが題材になってると公言されているのかいないのか、そこはわからないんだけど、読んでたら明らかにそうだとわかるんです。けど、そもそもノンフィクションじゃなくて、勝手に小説にしてしまってもいいのかなってことなんですけど。でも、名前を出しているわけでもなし、単なる物語だと言えば何ら問題がないんでしょうか。そのあたりは一読者の私にはよくわかりません。
でも、先日も実はそんな小説を読んでいたんだけど、やっぱり内容が内容だけに緊迫します。まるで当時者になったような感覚になりますもの。けど、それぞれの立場での見方や考え方が描かれているから、よけい事実を追っているように思えるんですよね。思わず、本当はこうだったのかって思ってしまうんです。でも、冷静に考えてみたら、小説なんだから、「いやいや、これは作り話であって真実ではない」って思い直すんです。でも、ついつい新聞の記事のように受け取ってしまう自分がいます。だから、読みながら、またしても『そんな内情だったのか』なんて思ってしまって、はたと気づくんです。これは小説なんだって。
けど、作者はどうして事件の内情を知ってるんだろう。あ、これも違いますよね。取材で知ったかもしれないけど、全くの想像かもしれないですものね、あくまで物語ですから。

懐かし可愛いキャラクター

友人が仕事に関わってくれることになって、先日、職場を訪ねてくれました。打ち合わせをしていくつかの確認点を話し合って、これから進めていけるように共有しました。その日、彼女が来るまでに自分の仕事は終えていたから、あとは、少しお喋りをして時間を過ごしました。
翌日、出勤した私は見かけないボトルを見つけました。可愛いキャラクターの柄のマイボトルです。「昨日、彼女が持っていたような……」と思って、確認してみたらやっぱり彼女の忘れ物でした。次に会う時まで預かっておきます。けど、私が注目したのはボトルの柄です。そのキャラクターって子供のころから大好きだったから、久しぶりにじっくり見ると本当に懐かしくって……。でも、それは色褪せることなく、今でもそうやって様々な小物に使われてるし、各地で展覧会も開催されているようなんです。そして、なにより子供時代に大好きだった絵本や小説もちゃんと受け継がれていて、今でも書店には沢山並んでいます。むしろ、今の方がファンも多く、雑誌でも特集があったりします。登場人物もみんな個性的だからとっても楽しいんですよね。
そう思っていたら偶然にもそのキャラクターの記事を見かけたんです。ずーっと愛され続けるキャラクターなのは間違いないけど、やっぱりここ最近、すごく勢いがあるらしいんです。絵本や小説の売り上げもだけど、記事を読んだらビックリです。展示会や博覧会は大人気で、オンラインショップにファンクラブがあり、公式ツイッターやフェイスブックまであるんですから。私の知らないところでこんなことになっていたなんて! そりゃ、友人のマイボトルも納得です。

乙女心を救ってくれる本

心が疲れた時やなんだか不調な時に救ってくれる本があったら嬉しいですよね。友人や知人には「疲れた」とか「なんだか気持ちが浮かない」なんてことはあまり言いたくないものです。特別な理由などないことも多く、誰かに相談するとまでもいかない感じです。
先日、見かけたのは女子を救ってくれそうな本でした。たとえば、好きな歌詞が自分の心にすごく響いて、その歌を聴くと涙が出て来るなんてことがあるように、その本は、心にドンピシャと響く言葉で溢れているんです。それも、あえて全部ひらがなで書いてあるから、すごく優しい印象を与えてくれるのです。ふわっと包み込んでくれるようです。
誰かに声をかけてもらわなくても、それを読んだら心が少し軽くなって、ゆっくりと自分で自分を立ち上がらせることができそうなんです。
中には、『鋭い』と思うような指摘もあったりするから優しいばかりでなく、ちゃんと気づかせられることもあります。本当は自分でわかっていることでも、言葉にする勇気がなかったり、認める勇気がなかったり。そんなときにも背中を押してくれる一冊です。
心が晴れないときの処方箋としては最高の本です。お守り代わりに持っていたら、絶対に助けてくれそうです。こんな本に出会えたのは久しぶり。そのことだけでも、幸せが舞い降りた気分になれるから不思議です。