『恋煩」いっていう病気

先日、ある小説を読んでいたら、そこに出てきた『恋煩い』という言葉。普段はあんまり耳にしませんよね。でも、誰もが一度は聞いたことがある言葉なんじゃないですか? 私はそれを単に誰かに恋をすると一日中ずっとその人の事を考えて、ため息をついたりするから、そう呼ばれるものなんだと思っていました。でも、その小説に出てきた『恋煩い』って、本当に病気だったんです。食欲が全くなくなって、眠れなくなって、ついにはベッドから起き上がることもできなくなるんです。「そんなことってあるの?」と驚くばかりでした。けど、実際にも『うつ』に似た症状になったりするんですって。もちろん片思いでなくなれば治るんでしょうけどね。私はというと中学の時には、そこまでじゃないけど憧れの先輩のことを考えてはため息をついたりしてたかな、なんて思い出します。けど、たぶん食欲が失せたりはしなかったと思います。そんな記憶もないですし。でも、中学生時代のピュアな気持ちは懐かしいです。
けど、『恋煩い』って年齢に関係なくなってしまうものなんですね。だって、小説の中の登場人物なんて50歳でしたから。まぁ、「小説だから現実ではない」と言われればそこまでですけど。50歳のそれは重症でした。けど、いつか読んだ本には「人は死ぬまで恋をすることができる」って書いてありました。それって素敵ですよね。場合によっては問題ですけど。

尊敬に値します!

このところ出勤時間がいつもより1時間半も早いから、電車の混み方が随分違います。早くいつもの時間に戻りたいんだけど、訳あってまだしばらく続きます。混んでる中でも少しでも空いている車両をと探しながら乗ってるんですけど、途中の駅からもどんどん増えてきます。そんな状況だから私はいくら小説の続きが読みたいと思っても諦めています。トートバッグの他に手提げも持っている私は座れた時でないと読書は無理です。つり革をしっかり掴んでいないと、電車の揺れには本当に弱いんです。そんな中で驚きの事実があります。かなり混んでる車内であっても本を読んでいる人がいるってこと。立っている他の人と体の一部が触れているくらいなのに、片手でつり革を持ち、片手で本を持って読んでいるんです。中にはどこにも掴まっていない人もいます。すごい! 初めて気づいた時には思わずその様子をジッと見てしまいました。そして先日、よく見ると女子中学生っぽい二人はギュウギュウの中で立ちながらにしてテスト勉強をしていたんです。問題集に赤いシートを当てて正解の文字を見えなくして英文を見ていたんです。そこまで熱心に取り組んでいるなんてビックリです。けど本当は、熱心なことへの驚きよりも、電車で立ちながら揺れないで読書や勉強が出来るというその事実の方が一番の驚きで、尊敬ものなんですけどね。

やっぱり小説かな

先日、友人と久しぶりに映画を観ました。かなり話題になっていたものだからすごく楽しみにしていたんです。封切りになってからもう随分経っているし、仕事を終えてからの時間だから空いてるだろうって思っていたら予想外の人。念のために昼間にネットで席を確保してたから良かったものの、ほぼ満席だったんですもの。まさかそこまでの人気だとは。そうそう。その日がレディースデイだったこともあるかもしれません。私たちは偶然のレディースデイにラッキーだと喜んだけど、その日をめがけて来ている人もいますよね、きっと。そして胸の高鳴りを感じていると、いよいよ始まりました。でも、始まってまもなく私の中にはちょっとした違和感が……。自分でも初めはよくわからなかったんだけど、なぜか入り込めないんです。映像はものすごくキレイで、「これが話題の映像かぁ」と思うんだけど、何かが違う。そうなんです。実は私、その原作をすでに読んでいたんです。だから、いくら素晴らしい映像であっても自分の思い描いていたものとのギャップがあったんだと思うんです。小説を読んでると、必ず頭の中には無意識のうちに登場人物や風景が見えています。その小説も読んだ後に、すごく良かったと感じていたから映画にもすごく期待していたんです。そのうえ話題にもなっていて世間の評価も良かったから。でも、結局、最後まで私の心にはしっくりと入ってきませんでした。友人はというと、「すごく良かったね」と満足そうでしたけど。「この物語は自由にイメージできる小説の方が私には向いてたのかな」なんて考えながら家路につきました。

文芸書の売り上げランキング

本屋さん行くと、そのお店や全国の売り上げランキングが書いてあることがあります。特にお目当ての物がなく、何か気に入った物があれば……と思って書店を覗いた時には、やはり気になります。上位の本は手に取って見てしまいます。
先日、アマゾンの文芸書のランキングの記事を見かけました。2位は芥川賞を受賞した小説だから頷けます。でも、1位はちょっと意外な結果でした。あるミュージシャンのドキュメンタリー小説だったんです。その本が発売になったことは別の記事で知ってたんだけど、まさかベストセラーになるなんて思いもしませんでした。そして、3位はというと小説でもビジネス書でもなく、日本語の成り立ちに関する日本語論のような物でした。10位までを見てみると、小説が多いけど、詩集があったり美術に関する物があったりと結構幅が広いなっていう印象を受けました。ということは、読者の年齢層や生活環境は様々なんだなって改めて思いました。そして、私がミーハーなのか、そんなランキングを見ると、内容を全く知らない本がやっぱり気になってくるんですよね。中でも「ランキング入りする詩集ってどんなのだろう」って思ってしまいました。でも、今までの経験上、沢山の人の支持を得ている本はそれだけの価値があることが多いんです。だから、その詩集が今、ずっと気になっています。

心の地雷を踏んだら

たまに自分でも仕事をしていて余計なことを言ってしまったなって思うことがあります。良かれと思っても相手をすごく不機嫌にさせてしまったり、誤解されたり、もしくは言わなければ良かったと反省するような場合です。以前の上司に対して、何気に言ったことが地雷を踏んだと大反省するようなことが度々ありました。そうなってから後悔しても遅いんです。
けど、先日、『心の地雷を踏まないコツ、踏んだときのコツ』という本を見かけたんです。悪気はなかったのに相手を不快にさせてしまったり、相手は触れられたくないと思っていることを言ってしまったりということって誰でも一度や二度は経験がありますよね。その本には、相手が心を開きやすい距離感を取る方法や気に障りやすい口癖などを分かりやすく解説してあるんです。それが分かれば回避できます。そして、それだけではなく、もし踏んでしまった時のフォロー術も紹介しています。それが理解できていれば、もし、うっかりそうなっても強い心で前向きに対応できますよね。上手に謝る事もできるでしょう。人によっては「こんなことで怒る?」と思うようなこともあります。この本をしっかり読めば、そんな時にでも慌てずにスムーズな人間関係が築けそうです。ちょっと真剣にじっくり読んで自分のものにしたいなって思います。そして、かつての上司に会っても、もう地雷を踏まないようにしたいものです。

短編小説と長編小説

小説を選ぶ時に私は長編を選びがちです。と言っても、何巻にもわたっているものはというと、そこまでは望みません。持ち運びやすい文庫本なら1冊が一つの物語になっているものが好きなんです。特に理由があるわけじゃないけど、本屋さんで「これ、面白そうかな」と思って、パラパラと中を見て、目次を見て、短編集だとちょっとがっかりした気分になるんです。1冊が1つの物語での完結を求めているのかもしれません。だから、その選択は重要なんです。読み始めたけど意外にもその世界に入り込めなかった時には、最後まで読むのにものすごく時間がかかったり、なかなか進まないがために途中で放置してしまって、代わりに他のものを探しだすなんてことになりかねません。
でもたまに、短編集だけど良さそうって思えるものに出会うことがあります。先日がそうでした。しばらく、少し重めの長編にどっぷりハマっていたからでしょうね。ちょっと気分を変えたいって無意識に感じていたのかも。でも、その本の冒頭にめずらしく著者の前書きがあって、自分がその本を書いたいきさつが掲載されていたんです。初めにそれを読んだら、さらにその小説に興味が湧いてきて早く読みたくて仕方なくなったんです。それなのに、意外にもその前書きが長くて……「まだ始まらないの?」なんて思ってしまったんですから。きっと、それが戦略だったのかも。読み手の心がわかっていますよね。今、ようやく一つ目の物語が始まったところです。これからの行方がすごく楽しみです。

カフェにコンセプトを

カフェで読書をするのが好きです。休みの日にコーヒーを飲みながらのんびりとした時間を過ごすのは家でももちろん可能だけど、カフェだとちょっと贅沢な感じがするんです。最近は本屋さんでも併設しているところが多いから、ゆったりと本を選んで、買う前にちょっと中身を確認してみたり、買ってそのままそこで読んだり、と有意義な休日を過ごせます。
けど、最近はもっと多様化しているんですね。先日、見かけた雑誌には『コンセプトカフェ』というものが特集されていたんです。その名の通り、何かのコンセプトを持っているお店なんです。「へぇ、変わってる!」って驚きのコンセプトを持ったお店がいくつも載っていました。なかでも面白かったのが『ものづくりカフェ』です。ショッピングモールでもちょっとした体験ができるイベントが開催されていることがあります。以前、旅先でカバン工房に行った時には『カバンづくり体験』があったのを覚えています。そういうのってなんだかワクワクしますよね。雑誌に載っていたそのお店は、タブレットに自分でデザイン画を描いて、それをシートにしてラテアートができたり、マカロンに好きな絵を描けたりと、とっても楽しそうでした。作ったものを使って食べたり飲んだりできるというのが嬉しいですよね。カフェは進化し続けています。

アマチュア小説家に仲間入り?

たまに気が向いた時やあいにく本を持ち合わせていない時に電子書籍を読みます。何か面白そうなものがないかと、この前ネットで検索していた時に、私にとっては未知のゾーンを発見したんです。というより、知ってはいたんだけど足を踏み入れていなかったという方が正しいです。それは、小説の投稿サイトなんです。初めは普通に電子書籍をダウンロードできるサイトかと思っていたら、どうも違うような……と気が付いたんです。すごく沢山あるそれらの小説はアマチュア作家さんの作品なんだって。ランキングもあってすごく人気のある作品は、それはそれは沢山の人に読まれているんです。そして、その中から実際に年間に数冊は書籍化もされているとか。そんな投稿サイトがいくつもあるんです。アマチュアでも小説を書いている人がそんなに沢山いるなんて、びっくりです。気軽に読めるケータイ小説なども中高生に広まっているから、執筆も気軽になったのかもしれません。サラーっとランキングに目を通しただけで、中身はまだ読んでないからどんな内容のものが多いのかなどはわかりません。でも、恋愛小説やファンタジーなどが多いみたいでした。でも、全てが中高生向けかと思ったら、そうでもなくてちゃんと大人向けのものもあるんです。読んでみようかな、とも思ったんだけど、なぜか書いてみようかな、なんて気持ちになってしまったんです。
「何を書きたいの?」
「私の日常」
「それ、面白い?」
「結構面白い」
自問自答です。

人生は極めて個人的な作品

時々、人生って物語のように感じられるんです。だから、困難にぶつかった時には、「流れに任せていけば、暗闇から抜け出せるはずだから頑張ろう」とか、「今が踏ん張り時だ」とかって思います。不思議なことに八方ふさがりのような時でも、なぜか扉は必ず開くと、根拠はないけど、ある意味確信しているようなところがあります。お気楽だと思われるかもしれないですけどね。
この前、読んだコラムには『人生という極めて個人的な作品』をどう仕上げるか、なんて書いてあったんです。それは自分という芸術家の腕にかかっていると。素敵な表現だと思って、ちょっと興味が湧きました。そして、そのためにも他人には、とやかく言わないことが大事だって。他人の生き方はその人本人が気づかないことには改められないんだと。何かを注意されても、その人にとっては迷惑でしかないんだって。そんなことより、自分を見続けるほうが必要だと書いてありました。意識を内面に向けると、物事の善悪を正しく判断できるし、他人の動きに惑わされて心がブレたりしないんだそうです。本当にそうだと思います。他人を変えることなんて到底無理なことで、でも自分を変えることはできるんだと思っています。自分が変わったから、他人も変わってくれたという経験は今までにもあります。時には先日のようなコラムを読むと、普段の意識を見直すきっかけになります。人生という作品は自分でしか仕上げられないんですよね。良くも悪くも本人次第です。

続編が読みたいです

小説を読み終わった時に、すごく清々しいとも言えるような感覚になることがあります。その終結に満足しているときです。けど、そうではなく、感動したり、面白かったなって思ってはいるけど、その続きはどうなるんだろうって、なんとなく気持ちの治まりが悪いように思うこともあります。気持ちの治まりが悪いと言ってもネガティブな意味ではありません。言ってみれば、続きを知りたいということだから、ポジティブな気持ちなんですよね。
実は先日もそうでした。今まで私にとって興味がなかったことや知らなかったことが題材で、そんな世界もあるんだなぁってどんどん引き込まれてしまいました。家でも通勤電車の中でも、職場でも、とにかく一気に読んでしまいました。読後はまるで、映画を観終わった時のような感覚でした。なぜなら、私の頭に中にはしっかりと映像があったんですもの。そして、小説の終わりは『完』ではなく『続く』という感覚だったんですよね。そしたら、なんと続編があったんです。私が知らなかっただけだったのかもしれませんけど、運よく見つけたんです。面白かったからその作家さんの他の本を読んでみようって探していたら、目に留まったんです。もちろん、買いましたよ。今、読み始めたところです。「なるほど」と思いながらワクワクしています。今後の展開が楽しみです。